就活デモ院内集会にたいして思ったこと

田辺聖子という作家を知っているだろうか?
大阪生まれの、かわいい関西弁の男を書かせたら随一の、あの田辺聖子である。
私の愛してやまない作家小川洋子とそのお母様も読んでいるそうだし、もちろん私の母も彼女の大ファンなので、文字通り母娘三代にわたって楽しめる、素敵な小説家であることはまず間違いないと思う。
たぶん彼女の本を読んだことがなくても、妻夫木聡池脇千鶴が出ていた、「ジョゼと虎と魚たち」という映画は知っている人が多いのではないだろうか。私はあの映画嫌いだけど。虎も魚も出てこないし、恒夫がただのいい加減なヤリチンで、しかも何故か関西弁をしゃべらないというただのおされ映画になっているからだ。個人的にあの映画は原作の冒涜ではないか、とすら思ってる。
まあ、それはいいとして。


田辺聖子の小説の中には、会社という空間が何度も描かれる。たとえば、新潮社から出ている孤独な夜のココアという短編集の、「りちぎな恋人」や「雨の降ってた残業の夜」のような。
小説を読んでみると、そこには一般職の女の人がいて、総合職の男の人がいる。彼女らは若い独身の花婿候補の中からイイオトコを探し出し、幸せな結婚をしようともくろんでいる。(もちろん田辺聖子の小説の主人公はあんまりその競争には乗っかってない人が多い。からこれは小説の中で見てとれる会社の状況の話。)25歳になれば、年増と呼ばれてしまう。いき遅れれば、オールドミスとまで言われる始末である。
これをどうこう言うつもりはない。なぜなら、昭和53年に書かれた小説だから。1977年、今から35年ちかく前の小説である。それが当たり前の時代だったのだろう、としか言いようがない。


しかし、である。


これは35年近く前の話のはず、なのである。しかし、今もこの状況は続いてやしないだろうか?
女子大生目線で就活サイトを徹底比較!(http://syukatusitehikaku.jp/)というサイトを見てみると、いまだにリクナビにおいては3000社近くの企業が事務職という名で女の子を雇いたいと考えていることがわかる。
私はこれにまったくもって納得できない。教育の現場では男女平等といわれ、大学までどうにかこうにか進んできた結果が、これなのか?出産や子育てというリスク(そもそもこの言い方自体腹立つ)があるから、結婚したらやめるから、という理由でそんな雇用の仕方をしていい理由になるのか?私は女であるという理由だけで、自分より阿呆かもしれない男の人に、確実に下に見られる仕事をしなければならないのか?
就活をするときに女の子は絶対に考えなければならない。どういう人生を選ぶのか。選びたいのか。おそらくそれは男子より、ずっと具体的に、だ。
しかも、一般職を選ぼうが、総合職を選ぼうが、どちらもいばらの道である。総合職は上の世代が仕事ばりばりでへろへろに疲弊して、しかもあんまり幸せそうじゃないらしいっていうのがわかるし、かといって一般職になって専業主婦になることは望めそうにない。(ていうかその2択しかないのがそもそもおかしい。)
子どもは産めるのか、産みたいのか、考えたってわからないことに悩んで、産休・育休のことまで考えて就活をする子もきっとものすごく多くいるだろうと思う。私もそうだし。
これを読んだ男性の方は、就活の時に将来子どもを持つかどうかなんて、考えたことがありますか?育児休暇がとれそうかなんて、調べたことはありますか?


どう考えたって、田辺聖子が小説を書き始めたころから、就業構造が変わってないなんて、絶対におかしな話だと、私は思う。おかしい!と大声で言いたい。
だから私は、就活デモの人たちにも、おかしいって言ってほしかった。
院内集会において、女の子の扱いは発表において、ほんのちょっとだった。「文系女子のエントリー数が108.6社と1番多いにもかかわらず、内々定獲得数は0.9社と最下位である。男女格差が存在する。」ってそれだけだった。たしかに、内定数自体にも厳然たる男女格差があるだろう。しかし、平均して0.9社内定した人のうち、一体何割が総合職なんだろう。一般職として働くことを選んだ人はどれくらいいるんだろう。そういう差別は、見えていますか?
院内集会自体は、学生が声をあげ、ある意味形となったわけで素晴らしいことだと思う。そして、1時間という限られた時間の中で運営されていたわけだから、言えることは限られていただろう。けれど、私は少なくとも、女の子が一人は発言者として登壇するべきだったと思うのだ。女の子の立場からの就活について話したほうが、絶対によかったはずだ。冬には寒くて夏には暑いストッキングをはきながら、メイクのことまでどうこう言われて就活なんてしたくない、でもよかった。女の子として話してくれる人が私はほしかった。


おととい、北大から来ていた友達と、運動とジェンダーバランスの話をずっとしていた。やはり、①男性が人数的にも有利になっていると、女性の意見は抑圧されたり、埋没したり、マイノリティになってしまいがち、②皿洗いなどの家事労働、そして感情労働が無意識のうちに女性に求められる、というようなことが重なると数少ない女性が立ち去ることになる「悪ループ」が運動界隈には存在するらしいけれど、正直私はそれを就活デモにも感じてしまった。女の子は司会と、受付、登壇できるのは男の子だけ。女の子の問題は無視されて、しまいには「女性の問題は○○さんが取り扱いましたからね」なんて言い出されてしまう。全然足りてませんよ!


本当に、就活デモの実行委員の方々が院内集会までたどりついたのはすごいことだと思う。評価されるべきことだ。でもだからこそ、ああいう場だからこそ、女の子の就活のことをもっととりあげてほしかった。いつまでも、就業の入口に男女差別を残して、女の子を絶望させるのをやめてほしいって、言ってほしかった。
もしかしたら、今回は全員が抱えている共通の問題認識みたいなものだけをピックアップして発表しただけで、本当は中でジェンダーのことについても話されてきているのかもしれない。けれど、実際には何も発表されなかったに等しい。この後就活デモ実行委員の方々が、何か活動を続けていくのかどうか、私は知らないのだが、無視されたことがあったのではないか、ということも考えていってもらえるとありがたいと、思っている。

気になったこと。  「世界仰天ニュース 私の子どもを返して!」のこと

今日いつものようにぐーたらとテレビを見ていたら、「世界仰天ニュース」という番組で、「私の子どもを返して」と題して、ある事件について取り上げていた。(この番組は世界中の仰天するようなニュースを再現ドラマにして鑑賞するという、なぜかうちの妹が一番好きな番組)
以下、概要。

2009年9月、イギリスのスコットランド地方にあるファイフ市で幸せに暮らすマーク・マグダガル(当時26歳)とケリー・ロバートソン(当時18歳)の二人は婚約し出産を控えていた。
そんな幸せそうな二人が結婚を二日後に控えていた時に事件が起こる。突然、二人の前に見知らぬ人物が現れ「二人の結婚は許可できません」と言う。謎の人物の正体はスコットランド、ファイフ市のソーシャルワーカー。イギリスには、政府や市などにソーシャルワーカーと呼ばれる社会福祉士が配置されており、知的障害者やお年寄りなどに対して日常生活のケアやアドバイスを行ったり、飲酒や薬物中毒、家庭内暴力などの問題のある家庭を訪ね、子供が安全に暮らせないと判断した場合、養子縁組の手配をしたりするなどの様々な役割を担っている。何故そんなソーシャルワーカーが来たのかというと、実はケリーは学習障害を持っていたのだ。イギリスでは国や市が障害の重さを判断し、結婚を阻止出来ると法で定められている。さらに生まれた子供に精神的、身体的に悪影響を与える可能性があると、出産後の子供を引き取ると決められてしまった。
それにしても何故ケリーは学習障害と判断されたのか。それはケリーを生まれた頃にさかのぼる。
ケリーの両親は、共に子育てがままならない程の重度の学習障害をもっていた。
そこで当時のソーシャルワーカーの判断によって、両親でなく祖母がケリーを育てる事に。しかしケリーにも文章の読解や数字の計算に時間がかかってしまう学習障害があった。そして、成長した彼女が新しいソーシャルワーカーと面談した時、良く知った人としか上手くしゃべれないケリーは、態度の悪いソーシャルワーカーに嫌悪感を抱き質問に答えず黙っていると、それを重度の学習障害があり、人とまともに話す事が出来ないと判断された。その事が全ての不幸の引き金となっていたのだ。
これ以上この国にいても不幸になると思った二人は逃げるようにスコットランドを出てアイルランドで生活をする事にした。しかし、ソーシャルワーカーは、ケリーが出産のための定期検診を受けている記録から二人の居場所を突き止め、生まれた赤ちゃんを保護しに追いかけて来たのだ。結局、二人は政府の力に逆らう事が出来ず大切な赤ちゃんを奪われてしまう。マークは藁にもすがる思いで、以前、電話をくれたイギリス自由民主党下院議員であるジョン・ヘミング氏に相談。すると、正式な手続きをすれば面会も出来、頑張れば子供を取り返せる事がわかったのだ。以降、二人は何度も市役所を訪れ、子どもの親として問題の無い事を認めてもらうため、精神科医のテストを受けた。これは人と話す事が得意でないケリーにとってはとても大変な努力が必要だった。そして努力の結果、ケリーの障害は問題が無い事が認められた。現在、3人は努力で勝ち取った幸せな生活を送っている。子供を守る大切な役割があるこのイギリスのソーシャルワーカーだが、反面でこの様な事例が起こる事がある。

世界仰天ニュースのHPから引用(http://www.ntv.co.jp/gyoten/oa/110216/01.html

結婚の約束を交わしたカップルにとって、結婚式は大事なセレモニー。その直前ともなれば、不安や緊張感を抱きつつも、期待に大きく胸膨らませることだろう。英国のある若いカップルも、9月上旬に結婚式を挙げる計画を立て、2人で準備を整えながら当日を楽しみにしていた。しかし、式のわずか2日前に、ソーシャルワーカーが「女性は結婚を理解していない」と結婚式の中止を通達。実は、女性には軽い知的障害(※17日午前2時訂正 「learning difficulties」は、同じ英語圏でも米国などとは異なり、英国では知的障害の意味で使われるとのご指摘をいただいたため、表現を改めました。お詫びして訂正いたします)があるためソーシャルワーカーが付いていたのだが、この行動に、ネットでは「やりすぎだ」との批判の声が挙がっている。
このカップルは英スコットランド・ダンファームリンに住む、25歳のマーク・マクドゥーガルさんと17歳のケリー・ロバートソンさん。2人は今年1月に出会い、ロバートソンさんが妊娠したのをきっかけに結婚の約束を交わした。4か月前には同棲を始め、9月5日に予約した教会での結婚式に向け、幸せな生活を送ってきたそうだ。ところが9月3日、ウェディングドレスや指輪も用意して、2日後に迫った結婚式の最終準備をしていた2人のもとに、玄関のドアを必死に叩く“招かざる訪問者”がやってくる。
家を訪れたのは、2人のソーシャルワーカー。彼らは突然「彼女は知的障害で結婚を理解していない。だから結婚は違法だ」(英紙デイリー・メールより)と通達し、結婚はできない旨を告げた。スコットランド法には「どちらか、もしくは2人とも結婚制度を理解するための精神的な能力が欠如していると認められる場合、結婚を受け付けない可能性がある」という決まりがあるそうだ。
ロバートソンさんは、両親が育児できない状態だったために、生後9か月から社会福祉サービス部の保護を受けながら祖母のもとで生活をしていた。さらに、彼女が軽い知的障害を持っていたことから、ソーシャルワーカーが付いていたという。その結果、「ロバートソンさんは結婚を理解できていない」と判断され、結婚中止の通達が出されたということらしい。
突然の通達に号泣したロバートソンさんは、「私は結婚がどういうものか分かっている」「私はマークを愛しているし、彼と結婚したい」(デイリー・メール紙より)と、戸惑いを隠せない。一方のマクドゥーガルさんも「僕たちは互いに愛し合っているし、結婚していないカップルの子どもとして生まれてほしくない」(同)と、妊娠5か月に入った赤ちゃんへの思いを告白している。しかし、ソーシャルワーカーとの話は平行線をたどり、現在結婚が許可されるかは心理学者による面談の評価にかかっているそうだ。
怒りの収まらないマクドゥーガルさんは「彼女があまり勉強ができないというのは本当」(同)と知的障害が見られるのを認めつつも、「彼女は愛情あふれる人で、読み書きは上手くないかもしれないが、努力して学校にも通った」(同)と弁護。また、結婚を決めた時にはソーシャルワーカーらが「喜んでサポートするとも言った」(同)と話し、突然意見を変えた社会福祉サービス部に納得がいかないようだ。
これに対し、社会福祉サービス部側は「守秘義務の関係上、個々のケースについて話せない」(同)と、コメントを拒否している。しかし、この話題を伝えたデイリー・メール紙には、社会福祉サービス部の対応に疑問を感じるネットユーザーから多くの意見が寄せられた。
「2人が愛し合い子どももできたのに、なぜ結婚できないのか」「彼らに問題ないのに、彼女の知的障害を盾に結婚式を止めるのは間違い」と、そのほとんどがカップルへの同情を示す内容だ。中には「古い体質の社会福祉サービス部は、弱い相手を見つけて攻撃する」「『個々のケースについては話せない』とは便利な言い訳」と、社会福祉サービス部の体質を疑問視する意見も。また、米国やオーストラリアを始め、中東、アジアからの意見も見られ、どの国の人も「おかしな話」と理解に苦しんでいるようだ。

Narinari.com(http://www.narinari.com/Nd/20090912307.html)より引用


そもそもびっくりしたのは、スコットランドに今もそんな法律が存在し、しかも運用されているのか、ということ。ご存じのとおり、日本では知的障害だからと言って、行政が権限を行使して、結婚を認めないなんてことはありえないはずだ。(家族での反対はあるにしろ)

なので、気になったのでこの点について調べてみたのですが、一切何もわかりませんでした…(小声)

この辺鄙なブログをご覧になっていて、しかもスコットランド法のどの法律にそういう文言がのっているのか知っている方がいらっしゃったら教えていただけるとうれしいです…!
優生学とかと関係あるのでしょうか?そして、障害者団体なんかは抗議してないのでしょうか?
謎です。
 
そして、日本でソーシャルワーカー社会福祉士を訳すのが恥ずかしくなるほど、向こうには権限が与えられているのだな、ということも調べてたらわかってきたり。
また何故、上のケースではこんなことになってしまったのか、というとイギリスでは親の権利<子どもの権利、という考えからではないか、ということ。*1
このケースにおいてはソーシャルワーカー交代の際に、何故か彼女が重篤な知的障害であり、後見人をつけなけらばならないようなレベルだと判断されたため(ここに問題があるとは思うけど…)に結婚ができず、しかもスコットランドから逃走したせいで、知的障害とプラスして親として不適当ではないか、という判断がソーシャルワーカーによってされた、と考えられるのではないだろうか。学部生の戯言だけど。
だから、やふー知恵袋とかにこういう(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1255740232)投稿がなされるとちょっとむなしくなる…。たぶん、意地悪でこういう判断をしているのではない。子どもに何かあっては遅い!という予防的な措置が悪く働いたのではないだろうか。彼女の親も知的障害で、二人で育てられないと判断したので、祖父母が里親として育てた、と言っていたし、適切なレベルの介入ではないのだろうか…。でも同じようなケースが何件も起こっていると議員は話していたんだよな…。ううむ。難しい…。
どういうことかよく把握できない事例だけど、行政のソーシャルワーカーを悪者にしないでほしい、とは思った。彼らは彼らで職務でやったのであって、意地悪でないことをわかってほしい。

*1:子の監護、面接交渉、懲罰、教育、宗教上の教育、治療に関する権利の行使と主張されるものはいかなるものであれ、子の福祉を促進しなければならず、そうでなくとも、少なくとも子の利益に反するものであってはならないという意味において、自分の子に対する親の権利は一応の権利に過ぎない。これは福祉原理として知られている。もし親権の行使とされるものが子の利益に反するのであれば、このような状況においては、第三者、たとえば医者やソーシャルワーカーにはその親の希望に従って行動する義務はない。親権の行使とされるものが実際にこの福祉に反するか否かの最終的な裁定者は、裁判所たるべきである。」

ニートの日!ニート祭り講演まとめ

2月10日、ニートの日にちなんで、ニート祭りに行ってまいりました。ニートニート
主催のNPO法人ニュースタートの事務局代表二神能基さん、事務局の中本英彦さん、作家・反貧困ネットワーク副代表の雨宮処凛さん、素人の乱松本哉さんのトークライブと、ニートの講演という二本立て!ただしニートの日なので、進行はぐだぐだ!笑という感じの素敵講演会でした。テーマが「怠けてもっと生きやすくなる」!素敵!
以下、一応まとめ。


・なぜ「働け」といわれ、社会から殺されるのか?


・正社員で働いていたとしても、その働いている会社が何をやっているのかが大事ではないのか?働かなければならないという無駄な強迫観念があるから、ないほうがいい仕事・なくてもいい仕事があるのでは。ていうか、たとえ働いている人でもその仕事が「役に立っている仕事」だと胸を張れる人はどれだけいるのか。
ニート・ひきこもりはそういう生き方を否定するような、人間らしさを取り戻す動きではないだろうか。


素人の乱松本さんの去年の所得はなんと0円…笑
でもなんとか生活できた。貧乏でも「関係性」があれば生きていけるのではないか?
→これはほんとに「無縁社会」とはまっっっったく逆の生き方。松本さんはそれでほんとうに楽しそう。うらやましい。「遊びながら社会をやりくりするっていう原点に帰ったら、どれだけ楽しいか!」ってチラシにも書いてあるし。


・国際的にみると若者のコミュニティがすごい!松本さんはフランス滞在中に地下鉄で鍋をしたりしていたらしい…しかも一車両全体が盛り上がってしまうような事態になったそうな。自分たちの場所を自分たちの力で楽しくしようという意識。
→日本だとすぐ通報ですね…。そう考えると、日本ではその意識が逆に働いているのかもしれない。一緒にどんちゃんして騒ぐのではなく、異端を暗黙のうちに相互監視するような、そういうある意味での連帯感というか。学校教育なんかもすべてそうだし。コミュニティはとっくにないのに、村社会的な排除の意識だけは強いのか…おそろしや。
→フランスでは不法占拠してライブハウスやバー、アートスペースにしているところも多いらしい(ていうか雨宮処凛がスコーティングって言ってたからめっちゃググったのに全然違ったよ!笑)。それを“squat(スクワット)”というらしい。
パリのスクワットで活動を続けるアーティストにインタビュー?した記事。公的機関が後から使用を追認するって日本じゃありえない気が…笑  http://ameblo.jp/stacio2/entry-10049345056.html
阪大の教授?がこんな論文も書いてるみたいだけど全文は出てこなかった… http://www.gakkai.ne.jp/jss/research/point/01/001_039.pdf
社会学者の方のブログも。フランス語読めない。 http://d.hatena.ne.jp/naokimed/20101006/1286316241
→楽しそう…!この意識の違いってなんなんだろう。教育?国の雰囲気?


・世の中全体の経済システムは影響しないような枠組みの中で生きていく!
貧乏に反対すると逆に資本主義にまきこまれる。「お金をつかうのが楽しい・素敵」という価値観からどれだけずらしていけるかが大事。


・もっと自由で楽な生き方はないのか?
若者自身が「働かざる者食うべからず」という意識にがんじがらめになっている。そこから生きやすさは出てこないのではないだろうか?働くことによって世の中が良くなる、という時代は終わったのではないだろうか…。


ビッグイシューにおいて若者ホームレス白書(http://www.bigissue.or.jp/pdf/wakamono.pdf)作成!


・助け合う社会は税金的に面倒なことをしなければならない
昔は貧乏でもコミュニティがあり、それが社会を支えていた面もあるが、高度経済成長期を経て、それがなくなり金儲けだけが残った。なのに上の世代は働けばなんとかなる!という。なんとかなるわけねーだろ!(と興奮する松本さん)


・年金なんて若者は払ったら馬鹿をみる!若者が不利な経済成長を前提とした仕組みははやく崩壊させるべき笑
→なんかこういう話をした対談が世界にのってるっていう話をしていましたが、いったいぜんたい第何号なんだろう?


・「就業」というのはすごくむつかしい
でも部分的でもいいから働くことですこしでも人と関わることができる。国からお金をもらうと、ホームレス支援にしろニート支援にしろ、出口は就労自立しか存在しない…。就労自立以外のモデルはないのか?しかも求められるベストは正社員…職歴も経験もないのに、なれるわけないじゃん!(本人も親御さんもその「正社員」というレールにもう乗れないということにショックを受けることも多いらしい)


・働いている人が100パーセントの社会なんてありえない!
今の社会は失業率が低すぎる…適正失業率を設けて、働きすぎを規制するべき。もういっそ、憲法で働きすぎを規制しちゃえばいいんですよ(と不敵に笑う二神さん)


・仕事も街の作り方もきっちりしなきゃダメと勘違いしている
文化がなく利益、営利活動ばかり追い求める社会…殺伐としているよー!


・生保以前のセーフティネットの薄さ
イギリスの家賃補助は若者の30パーセントはもらっている
→そうそう!家賃補助という前段階をつくれば、生保まで滑り落ちない人もいるのではないのか?


・第二部のトークライブに登壇したニートは6人すべてが男性。何故?
男性ばかりの現在のNPOに入ってきづらいというのも考えられる。しかし、家事手伝い・花嫁見習いということで隠されているのではないか(逆に男性は働くことを過剰にもとめられるので目立つ?)。くわえて、女性の場合、ひきこもっていても家族同士についての関係の悪化がそこまで見られず、親があまり深刻に考えない場合も多い?潜在的な男女比は半々くらいといわれているが、表にあまり出てこない…。しかし、深刻な状態、こじれた状態になるのは女性のほうが多い?



働くことがここまで求められる社会なんておかしい、て思うたびに就活から意識や興味や関心が遠ざかって、ああまずいなって思うんだけれど、でもおかしいとおもってしまったものにのっかれないし、もうほんとに自分の将来をどうしたらいいのかわからなくなってきた。
この国は急にフランスみたいにはなってくれないだろうし、選んだ進路にも正解はないだろうし(後悔は伴うかもしれないけど)、どうにか自分でたべていけるだけの収入をどうにかしなくてはな。
私もニートみたいなものだ。でもなんとか、しがみついて生きていこうと思う。

平成雑記帳 高村薫 第173回  (AERA 11‘1.31 NO.4より)

「いま、学生の多くは学問に勤しめているのだろうか。まもなく受験を終える若者たちに考えてもらいたいことがある。」
厳冬期に行われるセンター試験の日は、毎年雪模様になる。いや早い人なら幼稚園に入るときから受験に追われてきて、18歳の若者に成長したいま、ようやく迎えたラストスパートであれば、当の受験生たちは雪など眼中にないだろうか。
国はこの十数年、詰め込み教育が批判されれば、ゆとり教育へ転換し、それで学力が低下すればまた一転して学力重視へとめまぐるしく方針を変えて、子どもたちを振り回してきたが、国の定めた指導要領がどうであれ、当の子どもたちは、ともかく与えられた課題にそれなりに懸命に向き合ってきただけだろう。同様にセンター試験も、当の若者たちにとっては通過しなければならない課題のひとつに過ぎず、粛々と乗り越えてゆくだけなのかもしれないが、少子化にともなう大学全入時代のいま、大学へ何をしに行くのかについて明確な意思をもたないまま進学するケースも増え、学生の多くが自由に学問に勤しむどころか、今度は就職に有利な学科や資格を求めてさまようことになるようである。もっとも、これも若者たちが従順になったというよりは、経済規模が収縮し続けるこの国では、いまや従順でなければ就職活動一つできないというほうが正しいのだろう。
かくして、晴れて受験に追われた十代を脱しても、自分の自由な意思とはほど遠く、ひたすら社会の情勢や景気動向を眺めながら、社会の敷いたレールの上を走り続けることになるのだが、間もなく受験を終える若者たちには、ぜひ考えてもらいたいと思う。自分は、少しでも就職に有利な立ち位置を占めるために大学に入ったのか。大学とは、そもそもそんな場所なのか。社会人になる前に、最後に十分に学問をする場所ではないのか。いくら不況期とはいえ、国の未来を担う学生たちが、これからいよいよ専門課程に入るという大学3年の春から就職活動を始めなければ、とうてい内定にこぎつけられないような社会は異常ではないか。そして何より、こうした異常事態をつくりだしているのは、当の企業ではないのか。学生に十分に学問をさせないような状況をつくり、実際十分に学問しないまま卒業してゆく学生をわざわざ青田買いするような日本企業に、いったい未来があると言えるのか。また、そんなふうにして学生を企業の都合に合わせて送り出す大学に、大学としての存在価値はあるのかーーー。
折しも、経団連が採用活動の開始時期を二ヶ月遅らせる決定をしたが、大勢に影響はない。これから進学をする若者たちは、三年生の春には就活スーツに身を包んだロボットになっている自分を、一度想像してみてほしい。仮に一万人の学生が、そんなつまらない未来を拒否して立ち上がれば、この国は変わる。座して政治家や企業に期待するのは、学生の本分でないことを知るべきである。ちょうど遠いチュニジアでも、長年の独裁政権を崩壊させたのは、学生たちだったと聞く

上智講演まとめ

1月29日、上智大学にて行われた「身近にあるホームレス問題と民主主義〜差別と排除を超えて〜」と題した講演に行ってまいりました。


以下、まとめ。


・公園に住むのはほんとうに駄目なことなのか?
公園住所訴訟について。(大阪にて公園内にテントを建て、生活していたXが公園を住所として転居届を提出するが、区長が不受理したため訴訟を起こした)本来、日本の民法は「各人の生活の本拠をその者の住所とする」(民法第22条)と定めており、つまりはその人がもっぱら住み、生活しているところを住所と定めている。はずである。しかし、高裁・最高裁はその住んでいるという事実自体を否定し、住所と認めなかった。
最高裁都市公園法に違反して、都市公園内に不法に設置されたキャンプ用テントを起居の場所とし、公園施設である水道設備等を利用して日常生活を営んでいることなで原審の違法に確定した事実関係のもとにおいては、社会通念上、上記テントの所在地が客観的に生活の本拠としての実態を具備しているものとみることができない」
リンクは高裁判決時点でのもの。最高裁も高裁を支持し、結局原告は敗訴。(http://www.news.janjan.jp/living/0701/0701238690/1.php
→この事件をぐぐると2ちゃんがひっかかりすぎるよー…!ちょっと辟易するくらいの意見が多いよー!みんなこれが認められるならば立地は最高な新宿公園に住むとか書きこんでいたけど、本当に公園に住みたいなんて思っていないはずだ。だって、外ナベであらためて実感したけど、冬は寒い。外気温が低いのはもちろんだし、コンクリートに座り込むとどんどん体が冷えてくる。立地が便利である、そこの地価が高いのにずるいって馬鹿かと。この裁判を起こした人が求めているのってそういうことじゃないでしょう。


・日本では様々な権利や基本義務を住所を基に整理されている。たとえば、憲法で選挙権を保障しているにもかかわらず、住所がなければそれを行使することはできない。たとえば、住所がないと…携帯の契約ができない、口座を持てない、郵便物も受け取れない、履歴書に住所を書けない(郵便物を受け取れず、口座を持てないということは年金も受け取れない)また、普段はとても簡単にできる手続きが急にできなくなる。自分を守ってくれていた「見えない屋根」がなくなる。
→住所はその人の人格よりも重視される?
私自身もネットでの付き合いに、あっさりすっぱりいなくなられちゃうことがすごくこわいんだけれど、住所という要素が増えるだけで急に安心感がでてくる…。無意識のうちに信頼性の証になっている?


・住所がないと選挙にも行くことが出来ない!
投票できないのは住所を持たないホームレスだけではない。避難シェルター、もしくは配偶者の追跡を恐れて住民票の移動をしていないDV被害者も選挙権を行使できない。投票用紙が来ないから。
→つまり彼らは、「公的な奴隷状態」(他人が勝手に決めたことに従わざるを得ない、しかも自分はそれに関与できない状態)にある。抑圧されているマイノリティに選挙権が与えられなければ、その状況を改善することができない!><


・投票する「権利」と納税する「義務」
ホームレスの人が投票権を持たないことに対して、「義務を果たしていないから」と答える人が下手をすると大学の教授の中にもいるかもしれない?でもそれってほんとなのか?
→民主主義以前の問題、歴史からみてもこの考えはおかしい(フランス人権宣言?http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/furannsujinnkennsenngenn.htm ここらへん曖昧なので訂正あれば教えてください…)
しかしそもそも税金を払っていないということ自体も嘘!当然、モノを買えば、消費税を払っている。しかも消費税は逆進性が高く、負担率が大きいことになる。絶対的な量が少ないと反論が出るかもしれないが、大きな金額を払っている人が大きな声で発言できるというのもまたおかしな話。


・「民主主義とは制度ではなく、プロセス、運動、そして力である」
ルールや制度は民主主義そのものではない。そのプロセスや運動こそが民主主義なのである。絶えず民主化しようとするということにしか民主主義はありえない。同時に多数決、多数派というものによって少数派の意見が聞こえにくくなっているということも忘れないようにしておく。(そもそも日本においては多数派という言葉自体意味があいまいらしい。過半数を指すのか?より大きな意見を指すのか?英語では区別されている)
民主主義は与えられるものではない!自分の意見を持っているのがめずらしいことである、というふうにしない社会にしていく。自分自身の権利を持ち、それを正当に行使していくということ。


・すべての人が選挙権を有し、それを行使できる社会にするためには?
住民票を基礎に投票権を付与しない場合、懸念されるのが「二重投票」。しかし、それを盾に投票権を与えないというのは本当に正しいのか?在外選挙のように名簿に登録し、選挙権を運用するような制度があるのだから、これを国内の住民票がない人々にも応用できないのだろうか。
ちなみに…海外の状況。アメリカではホームレス支援施設でも、寝起きする道路名でも有権者登録ができるため投票を行うことができ、フランスでは役所を住所として提供することで住所がない人にも選挙権があるそうな。(ちなみにフランスでググっていたらこんなのも見つかりました。すごい運動!http://www.jrcl.net/frame07129g.html)米国のアンケートでは「路上に寝ている人でも投票権を持ちますか?」という質問に対して、すべての州でYESと答えている。


成年後見制度において後見人をつけると、投票できなくなる。弱者の権利こそが剥奪されてしまう…。
→こ、これはほんとうにどうしたらよいのか…!夏の実習の時にも、後見制度のことはデメリットばかりが強調されたような気がして運用がこわいですわ…。


・10年間、議員に調査などを送って、陳情を続け、改善がなければ、それは議会の責任である!


・ホームレス総合相談ネットワーク
弁護士、司法書士が中心?法律の力を持つというのは強いなあ…という印象。しかし今日はPSWも寸劇に参加していた!ホームレス支援にもかかわるのか!驚!
生保相談だけではなく、更生保護にもかかわり、申請後のアフターフォローも行うとのこと。生保自体の手続きはすごく簡単なことなのに、窓口で差別的な対応をされることが多い…。


上智大学内のアンケート
上智大学生を対象としたホームレス意識調査が配布される。気になった質問と結果をちょびっと抜粋。
①ホームレスの人々は普段何をしていると思いますか?
→空き缶等を集めている33%、寝ている28%、ぶらぶらしている12%、物乞いをしている8%、仕事を探している8%、日雇いの仕事を探している7%、想像できない2%、その他2%
②一般的にホームレスの人が野宿するに至る原因に個人の責任はどの程度関係していると思いますか?
→ある程度関係している69%、非常に関係している21%、ほとんど関係していない10%、全く関係していない0%
③自分はホームレスになる可能性があると考えたことはありますか?
→考えたことがある34%、考えたことはない62%、よく考える4%
→(考えたことがある理由)誰でも可能性がある、不透明な社会状況・不況、職を失ったらありうる、就職が決まらなかったら、頼れる人を失ったら、ホームレスの実情を見聞きして、貯金が無くなったらありうる、将来に不安がある、身近でよくホームレスを目にする、現在の家族の状況から、病気になったらありうる
→(考えたことがない理由)想像できない・したくない、頼れる身内・友人がいる、ホームレスにならないよう努力する、現在の過程が恵まれている、生活保護等の制度を利用する、最低限の仕事を探す、身近にホームレスがいない、現在家がある、自分はなんとか暮らしていける、大学まで教育を受けている
④ホームレスの人に選挙権はあると思いますか?
→あると思う85%、ないと思う15%
→(ないと回答した主な理由)税金を払うという義務を果たしていないので権利はない、「社会」に属していると言えないから、公共の場で勝手に寝泊まりしているから、戸籍がないため選挙権はない、住民票がない場合は選挙権もない、国に関する十分な知識がないから、社会貢献を怠っているから、労働もせず納税もしていないホームレスなら単純にあるとはいえない気がする
無作為抽出ではなく、グローバルコンサーン研究所に所属する教授の授業を履修している学生に対して行ったアンケートにもかかわらず、この結果である…他の学部も含めればさらにすごい結果になるのではないか。(上智の先生のコメント)
しかし、逆にホームレス総合相談ネットワーク、のぶきさんは「自分がホームレス状態になると考えたことがあるか?に6割というのはすごい。私自身は大学生の時、そんな風に思ったことがなかった。若い人たちがこれだけの危機感を持つほどの厳しい状況があるのではないか」とコメントされていた。
→自分の大学でもやってみたいな、と思った。しかし、無記名とはいえ、ホームレスの人々に対する嫌悪をこんなにあらわにする人がいるんだな、とショックでもあった。嫌な体験があったのかもしれないけれど。さすが上智様様な結果なのだろうか。比較できるものがないから、よくわからん…。



私が法律関係の知識があまりないためにわからなかったこと、聞き取れなかったことが多いため、内容があいまいです。また、このブログをいったいどの程度の人がみてくれているのかわかんないので、どのくらい詳しく書くか迷ったのですが、一応これくらいにしておきます。
しかし精度が低いといけないので、いろいろ調べながら書いていたのですが、ググるたび2ちゃんがひっかかるといちいちへこむ…。
でも、これ(http://kiyotani.at.webry.info/200601/article_38.html)のコメント欄の最後のほうで議論している2人は今の世間の市民感情をうまく表してるんじゃないだろうか、と思ってしまった。本当に困っている人を排除したくない、でもフリーライダーを許したくない、その葛藤は正直、私にもわかる部分があると思ってしまうので。

あといちいち2ちゃんの書き込み気にしてたらあれですけど、
「そもそも住所が無いこと自体犯罪で軽犯罪法に触れるんだよ。警察はホームレス全員をその気になれば逮捕できる。ホームレスを全員逮捕して刑務所に送って街をきれいにし、ホームレスにも飯と寝る場を刑務所とはいえ提供して、真人間として生きるすべをそこで教えるべきなんだが 、刑務所には自由が無いとか言ってホームレス生活
戻る人が出てきそうだな」っていうのは、一体なんの軽犯罪にふれるんですか?この人の妄言ですか?誰か、分かる人がいたら教えてください。


うおおおおほうりつぜんぜんわかんないようーーーーーーーーー

宮本太郎講演感想

今日は福島みずほ政治スクール第3回、宮本太郎編に行ってまいりました。

第1回は湯浅誠)、第2回は大沢真理だったそうで、いけなかったのがほんとに悔やまれます…ううう。

今回の内容はほぼ、宮本先生の新書「生活保障 排除しない社会へ」(岩波新書)とかぶっていたのですが、気になった部分だけ以下箇条書き。



・就活のこと。
先生が立命館大学の教授時代、社会政策学部設立のためいくつかの企業をまわり、大学に何を求めるかを聞いて回ったことがあったそう。企業側の返答は、「大学には何も期待していない。偏差値のスタンプを押してくれればオッケー」とのことだったそうな。その企業の人に言わせれば、大学入試というものは高校生活という楽しいことに満ち溢れた期間に、どれだけ我慢をすることができたか、という「我慢力」を見極めるためだけのもの。大学在学期間も学ぶ期間というよりも、最後のモラトリアム。その中で、サークルに入ってさくっとコミュ力をつけてさえくれれば、あとはなにもいらないと話していたそうな。
→がーん…!


・日本は教育の中でではなく、会社の中で社会的リテラシーを仕込むような社会の仕組みになっている。そのため、新卒時点でその枠組みに入れないと「大人になる機会」を失うことになる。しかも、色んな道筋で入りなおそうとしても、難しいのが現状。
→北大のキャリアセンター前に「飾って」あるという生涯賃金を視覚化したモニュメント?が衝撃的。

先生は親心もある、と弁解されていらっしゃいましたが、就活はもはや脅迫?笑


・95年という節目。雇用の仕組みが崩壊してきたのは95年くらいから?同時に自殺者も増加をはじめるなど、95年は節目の年だったよう。


・むすびつきの弱まりが進んでいる。
これまでの日本社会は歴史的に福祉制度なども企業が内包してきたことで、いつのまにか社縁が地縁や血縁を吸収してきてしまった。そのため、日本人は友人や仕事を超えた知人と会う機会が少ない!
これからは介護や保育などを巡る、つながらざるを得ない状況「やむを縁」が注目される?
→都市に人口が集中し、地方からも人が集まってきている。そうなると、マンションの隣の人の顔を知らないなんて事もザラ。(町内会の集まりにみなさんは出たことがありますか?)会社という存在がなくなった時に、特に縁を作りにくくなっている。つまり、地縁・血縁から逃れるようとして出てきた世代が、結果的に無縁化している?
もう一度生きづらい縁を作るのか?それは本当に生きづらい縁なのか?


・日本では年齢が上がるごとに幸福感が薄まる!(アメリカは逆に加齢につれて幸福度があがる。何故?)また、平均寿命が最長であるにもかかわらず、自分のことを健康だと感じる人が最低水準…。
→これは地域包括支援センターにおける実習中にも感じていたこと。高齢者の方に健康チェックをしてもらうと、傍目には問題がないと感じている場合にも、悪い評価を下す人が多い(謙遜?笑)。
また、孤独などの精神的不安からか、身体的訴えを繰り返し、受診する人も多い。医療がフリーアクセスなのも関係あるのか?
ただ、よい縁(夫婦、子ども、友人、その他えとせとら)に恵まれた暮らしをしている人は自分のことを健康だという人が多かったように感じた。


・パーソナルサポートの重要性。(これは湯浅誠さんがさんざんおっしゃっていること)
一人ひとりの生きづらさを解決するためには地域(NPO社会的企業)が重要。行政には難しい?
→行政との連携が大事では。


・殻の保障と翼の保障。
ヨーロッパ諸国も北欧と比較して遜色がないほどに、社会的支出の割合は多い。しかし、相対的貧困率は高めで、財政収支は赤字になっており、GDP成長率もそれほど高くない。しかし、北欧諸国の特徴はGDP成長率が高く、財政収支も黒字であり、しかしジニ係数相対的貧困率を見ればわかるように、格差が小さいということ。これらは何故なのか?
北欧諸国の福祉の特徴は「翼の保障」であるということ。日本をはじめ、ヨーロッパ諸国の保障は「殻の保障」。シェルターにおいて隔離、金銭をあたえる、などの保障であることが多い。しかし、北欧諸国の保障は職業訓練の充実や技能の習得支援など、翼をもち労働市場にまた返すためのものであることが特徴的。
→日本ではこの教育が社内で行われている?失業した後にまたもどるということのハードルが高すぎる。だからこそ、みな新卒というきっぷを必死に握りしめている。失敗できないから。


・結婚の壁
95年前後までは男女が出会う場所は圧倒的に「会社」が多く、37%を占めていた(それ以前は地縁つながりもあったがこのころから激減する)。しかし、現在は通路が遮断(非正規雇用の増加のことか?ここら辺がメモ曖昧)されたために、壁が高くなっている?
現在では結婚相談所の女性が一番最初に選ぶ条件は「年収」
若い女性の専業主婦願望が高まっているというのもあるのか?でもたしかにやはり年収は考える気がする…条件の一番ではないけれど、お金は大事…。


・世代間対立をあおりすぎてはいけない
生涯にもらえる年金額など、本当に信頼できるのかわからないデータで若者と高齢者の対立をあおる構図が多い。しかし、本当に対立することで、問題は解決するのか?若い世代が元気に働ける社会でこそ、高齢者もいい生が遅れるのではないだろうか。


スウェーデンにおける就学前教育。
就学前教育士が存在し、子どもとの比率1:5で配置される。宮本先生見学時にはひまわりの観察中だったとのことだが、それを観察しながら、教育士はその場で子どもが考えたこと、言ったことを逐一書きとめる。そして、そのひまわりの記録等と一緒に、書きとめた記録をを父母らに見せることで両者が子どもの成長を共有し、話題にすることができる。豊かな縁ではないだろうか?
1歳児までは父母が育児休暇を取得し育てる(就学前教育に入る子どもは0%。育児休暇の制度が整っているため両親は子どもと過ごすのが「当たり前」)。その後は、2〜5歳の子どもの8割が入る。それほど多くの子どもが入るため、信頼度が高い。
→記録の持ち帰りは日本の保育園でもおこなわれている?と思うんだけど、これは保育士にとっては重い負担らしい。見る子どもの人数比が違うのだろうか…。
また、日本のように保育所が不足しているため、定員があいている0歳児の時点から預けておくというような保育をすることがなくなるかもしれない。一体何時まで預かってもらえるのだろう…でもスウェーデンでは子どもがいる場合にはたしか短縮で労働できたような?


・でたらめに賃金をあげるのではなく、子どもを大学に行かせるコスト、住居費などの不当に高い生活コストを下げるような努力が必要?
→親に大学までのコストを払ってもらうというのは、子どもにとってもプレッシャー。悪く言えば、金銭関係は上下関係を生むと思う…。だからこそ、就活のとき、これだけお金をかけてもらったのに、と自分は妥協できないし、親も圧力をかけてくるし、だからこそ血眼にならなくてはいけないのではないだろうか。自分で払うことにしても、その学費を稼ぐために大変なアルバイト生活を送るか、一歩間違えばブラックリスト入りの奨学金しか方法がない。自分で払えるならば、自分で払いたい。何故、日本の学費はこんなに高いんだろう?


・公的な社会保障を家族コミュニティに投げるのではなく、その家族コミュニティが大切だからこそ、それらを守るために公的な保障が必要。
また、家族のありようという、今までは私的で踏みいってはいけないと考えられてきたものに対して、これからは公的な保障が範囲を拡大してくる。そのため、エモーショナルな議論に踏み込まざるを得ない。それは、これから時間をかけて議論していかなければならない。しかしその対象が、ある一定の「モデル」に限定されてしまうのでは今と一緒。多様性を尊重する社会にすること!


スウェーデンでは「看取り休暇」が存在する。最大60日間。しかも、家族だけでなく、身近な親しかった人に対しても適用される!
→すごい!最期の瞬間を大切にする社会でありたいと私は思う…。がむしゃらに働いて働いて、親の死に目に会えないなんて、私は絶対いやだよー!そんなことを強いてるなんてもっと嫌だよー!


という感じでした。
個人的には、宮本太郎先生はお話をうかがっていても、やはりとても素敵な先生だ、と感じました。高校の校長が河合隼雄に聞いたという知性人の素養(謙虚さとユーモアのセンス)についてあてはまるじゃないの!なんて思いながら、お話を伺っていました。はー素敵だった。
でも、話を聞いていて思ったのはやはり、根幹には「労働」という概念があるということ。お金を稼ぐということと、労働するというのは常にイコールなのか!?というのはBIの会議なんかでさんざん言われていたことだけれど、やはり社会的合意を得るためには労働が根幹の制度のほうが理解を得やすいのかしらん、なんてことも考えていました。



うどん屋さんで、就活くたばれデモの実行委員のお二人にお話をうかがえたのもじつに楽しかったです!
(わーいまたおもしろそうな人と知り合いになれたー!)←心の声

ちょっと未来の話

ちょっと未来の話、もしかしたら私は仕事にきちんとつけるかもしれない
ちょっと未来の話、もしかしたら私は結婚をするかもしれない
ちょっと未来の話、もしかしたら私は子どもを、持つかもしれない
というわけで、ちょっと未来の話を考えるために講演や会合に行ってきたのでその感想をば。(すみませんうまくまとめられなかったので以下、箇条書)




・一番変わったのは、子育てが楽しい!発見があるもの!ということをものすごく発信してくださる人ばかりだったので、子育てに対する印象。
巷にあふれる言説はなんだか地に足がついていない夢見がちなものか、AERAみたいな不安をあおるぜ!みたいなものしかなかったので、実際にそこをくぐりぬけてきている人が子育てっていいものなんだよ!って言ってくれたのはなんというかすごく安心した。


・仕事のおもしろさと子どもは対立するか、と言われれば、やらなくてはいけないことが増えている以上、独身の時と遜色なくやるのは無理。しかし、時間に制約があるので効率を考え、色んなことを俯瞰できるようになった。



・何歳ぐらいで子どもを持ちたいか、という質問に対して20代後半と答える学生が圧倒的に多い(上智講演の司会をされていた先生が授業中にアンケートをとったところ)
→上の年齢からみると、「はやまっている」と感じるらしい!今回集まった方はみなさん、ばりばり働いてやる!と考えていた方が多いよう。世相の反映もあるのか。もしくは上の年齢層がそれと子育てとのバランスをうまくとれなかった反動?この学生世代の親の意向を踏襲していることも考えられる?


・子どもを複数持つとき、そのタイミングもまた難しいらしい…


・産める体なのかどうか、若いうちからきっちり検査だけはしておくべき!


・先送りにしすぎないほうがいい。(いつか持つのだろうな…と思って後送りにしたので、子どもができるまでが大変で、出産も高齢だったためリスクが高かったとのこと)
ライフプランをぼんやりとでも設計しておくべき


・専業主婦、主夫両方に言えることだが、どちらかだけ働いている、となるとパワーバランスが傾きがちになる。単なる「家にいるヒト」の扱いになってしまう…平等なパートナーであったはずなのに?


・講演中に集計されたアンケートでは35人の女子学生のうち、18人が「子どもが小さいうちは母親は家にいて、育てたほうがよい。小さいうちにあずけるのはかわいそうだ」という項目に対してYESにしている!
→わお!上智なのに!?


・勉強会の方は今のところは自宅で見ているとのことだったが、講演の方はほとんどが0歳児から保育利用経験あり。(2か月半くらいからならし保育をはじめ、5ヶ月くらいから普通にあずけはじめる、とのこと)
保育園のメリットもある!
「人間は本来大家族の中、大人数の兄弟の中で社会性を身につけていくものだと考えるが、家では兄弟は1、2人の家庭が多い。そういう意味ではやくから保育園にあずけることで、社会性が身につくと言えるのでは」
「24時間子どもと居るのは自分には無理だった。後ろめたさをすこしでも感じるならば、やめるべきだと私は考えるが、でも自分は生き生きしているところを見せたかった。それが自分にとっては仕事だった。子どももあまりにも保育園に楽しそうに行くのでうれしい」
「日本では子育ては『孤育て』と言われている。その状況も改善される」
(しかし保育園は現状不足。これが充足しない限り、女性は社会進出できないと指摘が講演内でもある。専業主婦もリフレッシュのために利用できるようなフレキシブルな支援が望ましいのでは、とのこと。)


・子育てをしたことで私はこれを探していたんだ!と感じた、満たされない部分が埋まった。


・自分の親の存在感の反復になる。また、たてのつながり(母、自分、子ども)について意識できるようになった


・「子育てはごほうびつきの修行」!


・アンケート、家庭生活を夫婦平等に分担することが希望、にYESと答えた女子学生は35人中33人!しかし、男子は5人中2人!
→男子側が数が少ないとはいえ、半数以下?なぜなぜ!世間の考えもそんな感じなのかな


・「育児は女性の仕事」という意識がまだまだある。女性も自分自身がやらなくては、と考えすぎないことも重要。男性が手伝ったときにほめる。調子に乗ってもらう。上手じゃないから、と萎えてしまう人も多いらしい。
やっている人が褒められる風潮は大事にする。


・やはり女性側の意識の変革、頑張りだけでは変えていけない。男性側の意識の変革も重要。
また、休まないのが当たり前・残業当たり前のままでは一人前の正社員=「いつでも残業ができ、やすまないのが当たり前」になってしまい、双方働きにくいまま。そこが変革されなければ、女性の社会復帰はしづらい…


・仕事と家庭の両立は女性の問題だけではない!
一時の誤った社会形態に行政の仕組みがはまったままなので、矛盾を感じていることが多い。育児・介護は女性のもののままにしておいて働く問題を論ずるのは違うのでは。


・女性の政治家がいることを意識する。女性の声を代弁してくれる人を有権者として選び取ることも大事


・女性同士の対立に陥らない。専業主婦対働く女性の構図になってしまってはいけない。


・専業主婦になりたい学生が多いということだが、それは母親の影響が大きいのでは?
かつては「働きたくても働けない女性」がたくさんいた。しかし、現在では同年代の男性の考え方もかなり異なり、結婚後も働いてくれることを希望する人が多い。考えが違うという現実を見ながら決めていくべき。




おおまかな話はこんな感じ。
働きやすくなっているよ!というアピールがあったけれど、やはり上司や会社に恵まれている部分も大きいという印象を受けたかも。
あと気になるのは、アンケートの「夫婦平等で家庭生活を送る」という項目にYESとしなかった男子学生のパーセンテージははたして大人数で調査しなおしてもそうなるのか、ってあたり。日本の男性は欧米(とかいうのだいっきらいだけど)の男性の3分の1しか家事をしないらしいのですが、私たちの世代にもそういう意識は引き継がれたままなのかな?うーむ。

あと個人的な感想としては政井マヤが、「私の結婚は『できちゃった婚』ではなく『授かり婚』です」と宣言して、その後もやたら「授かり婚」とおっしゃっていたのがなんとも上智っぽいなあ、と思ったりしました。