就活デモ院内集会にたいして思ったこと

田辺聖子という作家を知っているだろうか?
大阪生まれの、かわいい関西弁の男を書かせたら随一の、あの田辺聖子である。
私の愛してやまない作家小川洋子とそのお母様も読んでいるそうだし、もちろん私の母も彼女の大ファンなので、文字通り母娘三代にわたって楽しめる、素敵な小説家であることはまず間違いないと思う。
たぶん彼女の本を読んだことがなくても、妻夫木聡池脇千鶴が出ていた、「ジョゼと虎と魚たち」という映画は知っている人が多いのではないだろうか。私はあの映画嫌いだけど。虎も魚も出てこないし、恒夫がただのいい加減なヤリチンで、しかも何故か関西弁をしゃべらないというただのおされ映画になっているからだ。個人的にあの映画は原作の冒涜ではないか、とすら思ってる。
まあ、それはいいとして。


田辺聖子の小説の中には、会社という空間が何度も描かれる。たとえば、新潮社から出ている孤独な夜のココアという短編集の、「りちぎな恋人」や「雨の降ってた残業の夜」のような。
小説を読んでみると、そこには一般職の女の人がいて、総合職の男の人がいる。彼女らは若い独身の花婿候補の中からイイオトコを探し出し、幸せな結婚をしようともくろんでいる。(もちろん田辺聖子の小説の主人公はあんまりその競争には乗っかってない人が多い。からこれは小説の中で見てとれる会社の状況の話。)25歳になれば、年増と呼ばれてしまう。いき遅れれば、オールドミスとまで言われる始末である。
これをどうこう言うつもりはない。なぜなら、昭和53年に書かれた小説だから。1977年、今から35年ちかく前の小説である。それが当たり前の時代だったのだろう、としか言いようがない。


しかし、である。


これは35年近く前の話のはず、なのである。しかし、今もこの状況は続いてやしないだろうか?
女子大生目線で就活サイトを徹底比較!(http://syukatusitehikaku.jp/)というサイトを見てみると、いまだにリクナビにおいては3000社近くの企業が事務職という名で女の子を雇いたいと考えていることがわかる。
私はこれにまったくもって納得できない。教育の現場では男女平等といわれ、大学までどうにかこうにか進んできた結果が、これなのか?出産や子育てというリスク(そもそもこの言い方自体腹立つ)があるから、結婚したらやめるから、という理由でそんな雇用の仕方をしていい理由になるのか?私は女であるという理由だけで、自分より阿呆かもしれない男の人に、確実に下に見られる仕事をしなければならないのか?
就活をするときに女の子は絶対に考えなければならない。どういう人生を選ぶのか。選びたいのか。おそらくそれは男子より、ずっと具体的に、だ。
しかも、一般職を選ぼうが、総合職を選ぼうが、どちらもいばらの道である。総合職は上の世代が仕事ばりばりでへろへろに疲弊して、しかもあんまり幸せそうじゃないらしいっていうのがわかるし、かといって一般職になって専業主婦になることは望めそうにない。(ていうかその2択しかないのがそもそもおかしい。)
子どもは産めるのか、産みたいのか、考えたってわからないことに悩んで、産休・育休のことまで考えて就活をする子もきっとものすごく多くいるだろうと思う。私もそうだし。
これを読んだ男性の方は、就活の時に将来子どもを持つかどうかなんて、考えたことがありますか?育児休暇がとれそうかなんて、調べたことはありますか?


どう考えたって、田辺聖子が小説を書き始めたころから、就業構造が変わってないなんて、絶対におかしな話だと、私は思う。おかしい!と大声で言いたい。
だから私は、就活デモの人たちにも、おかしいって言ってほしかった。
院内集会において、女の子の扱いは発表において、ほんのちょっとだった。「文系女子のエントリー数が108.6社と1番多いにもかかわらず、内々定獲得数は0.9社と最下位である。男女格差が存在する。」ってそれだけだった。たしかに、内定数自体にも厳然たる男女格差があるだろう。しかし、平均して0.9社内定した人のうち、一体何割が総合職なんだろう。一般職として働くことを選んだ人はどれくらいいるんだろう。そういう差別は、見えていますか?
院内集会自体は、学生が声をあげ、ある意味形となったわけで素晴らしいことだと思う。そして、1時間という限られた時間の中で運営されていたわけだから、言えることは限られていただろう。けれど、私は少なくとも、女の子が一人は発言者として登壇するべきだったと思うのだ。女の子の立場からの就活について話したほうが、絶対によかったはずだ。冬には寒くて夏には暑いストッキングをはきながら、メイクのことまでどうこう言われて就活なんてしたくない、でもよかった。女の子として話してくれる人が私はほしかった。


おととい、北大から来ていた友達と、運動とジェンダーバランスの話をずっとしていた。やはり、①男性が人数的にも有利になっていると、女性の意見は抑圧されたり、埋没したり、マイノリティになってしまいがち、②皿洗いなどの家事労働、そして感情労働が無意識のうちに女性に求められる、というようなことが重なると数少ない女性が立ち去ることになる「悪ループ」が運動界隈には存在するらしいけれど、正直私はそれを就活デモにも感じてしまった。女の子は司会と、受付、登壇できるのは男の子だけ。女の子の問題は無視されて、しまいには「女性の問題は○○さんが取り扱いましたからね」なんて言い出されてしまう。全然足りてませんよ!


本当に、就活デモの実行委員の方々が院内集会までたどりついたのはすごいことだと思う。評価されるべきことだ。でもだからこそ、ああいう場だからこそ、女の子の就活のことをもっととりあげてほしかった。いつまでも、就業の入口に男女差別を残して、女の子を絶望させるのをやめてほしいって、言ってほしかった。
もしかしたら、今回は全員が抱えている共通の問題認識みたいなものだけをピックアップして発表しただけで、本当は中でジェンダーのことについても話されてきているのかもしれない。けれど、実際には何も発表されなかったに等しい。この後就活デモ実行委員の方々が、何か活動を続けていくのかどうか、私は知らないのだが、無視されたことがあったのではないか、ということも考えていってもらえるとありがたいと、思っている。