宮本太郎講演感想

今日は福島みずほ政治スクール第3回、宮本太郎編に行ってまいりました。

第1回は湯浅誠)、第2回は大沢真理だったそうで、いけなかったのがほんとに悔やまれます…ううう。

今回の内容はほぼ、宮本先生の新書「生活保障 排除しない社会へ」(岩波新書)とかぶっていたのですが、気になった部分だけ以下箇条書き。



・就活のこと。
先生が立命館大学の教授時代、社会政策学部設立のためいくつかの企業をまわり、大学に何を求めるかを聞いて回ったことがあったそう。企業側の返答は、「大学には何も期待していない。偏差値のスタンプを押してくれればオッケー」とのことだったそうな。その企業の人に言わせれば、大学入試というものは高校生活という楽しいことに満ち溢れた期間に、どれだけ我慢をすることができたか、という「我慢力」を見極めるためだけのもの。大学在学期間も学ぶ期間というよりも、最後のモラトリアム。その中で、サークルに入ってさくっとコミュ力をつけてさえくれれば、あとはなにもいらないと話していたそうな。
→がーん…!


・日本は教育の中でではなく、会社の中で社会的リテラシーを仕込むような社会の仕組みになっている。そのため、新卒時点でその枠組みに入れないと「大人になる機会」を失うことになる。しかも、色んな道筋で入りなおそうとしても、難しいのが現状。
→北大のキャリアセンター前に「飾って」あるという生涯賃金を視覚化したモニュメント?が衝撃的。

先生は親心もある、と弁解されていらっしゃいましたが、就活はもはや脅迫?笑


・95年という節目。雇用の仕組みが崩壊してきたのは95年くらいから?同時に自殺者も増加をはじめるなど、95年は節目の年だったよう。


・むすびつきの弱まりが進んでいる。
これまでの日本社会は歴史的に福祉制度なども企業が内包してきたことで、いつのまにか社縁が地縁や血縁を吸収してきてしまった。そのため、日本人は友人や仕事を超えた知人と会う機会が少ない!
これからは介護や保育などを巡る、つながらざるを得ない状況「やむを縁」が注目される?
→都市に人口が集中し、地方からも人が集まってきている。そうなると、マンションの隣の人の顔を知らないなんて事もザラ。(町内会の集まりにみなさんは出たことがありますか?)会社という存在がなくなった時に、特に縁を作りにくくなっている。つまり、地縁・血縁から逃れるようとして出てきた世代が、結果的に無縁化している?
もう一度生きづらい縁を作るのか?それは本当に生きづらい縁なのか?


・日本では年齢が上がるごとに幸福感が薄まる!(アメリカは逆に加齢につれて幸福度があがる。何故?)また、平均寿命が最長であるにもかかわらず、自分のことを健康だと感じる人が最低水準…。
→これは地域包括支援センターにおける実習中にも感じていたこと。高齢者の方に健康チェックをしてもらうと、傍目には問題がないと感じている場合にも、悪い評価を下す人が多い(謙遜?笑)。
また、孤独などの精神的不安からか、身体的訴えを繰り返し、受診する人も多い。医療がフリーアクセスなのも関係あるのか?
ただ、よい縁(夫婦、子ども、友人、その他えとせとら)に恵まれた暮らしをしている人は自分のことを健康だという人が多かったように感じた。


・パーソナルサポートの重要性。(これは湯浅誠さんがさんざんおっしゃっていること)
一人ひとりの生きづらさを解決するためには地域(NPO社会的企業)が重要。行政には難しい?
→行政との連携が大事では。


・殻の保障と翼の保障。
ヨーロッパ諸国も北欧と比較して遜色がないほどに、社会的支出の割合は多い。しかし、相対的貧困率は高めで、財政収支は赤字になっており、GDP成長率もそれほど高くない。しかし、北欧諸国の特徴はGDP成長率が高く、財政収支も黒字であり、しかしジニ係数相対的貧困率を見ればわかるように、格差が小さいということ。これらは何故なのか?
北欧諸国の福祉の特徴は「翼の保障」であるということ。日本をはじめ、ヨーロッパ諸国の保障は「殻の保障」。シェルターにおいて隔離、金銭をあたえる、などの保障であることが多い。しかし、北欧諸国の保障は職業訓練の充実や技能の習得支援など、翼をもち労働市場にまた返すためのものであることが特徴的。
→日本ではこの教育が社内で行われている?失業した後にまたもどるということのハードルが高すぎる。だからこそ、みな新卒というきっぷを必死に握りしめている。失敗できないから。


・結婚の壁
95年前後までは男女が出会う場所は圧倒的に「会社」が多く、37%を占めていた(それ以前は地縁つながりもあったがこのころから激減する)。しかし、現在は通路が遮断(非正規雇用の増加のことか?ここら辺がメモ曖昧)されたために、壁が高くなっている?
現在では結婚相談所の女性が一番最初に選ぶ条件は「年収」
若い女性の専業主婦願望が高まっているというのもあるのか?でもたしかにやはり年収は考える気がする…条件の一番ではないけれど、お金は大事…。


・世代間対立をあおりすぎてはいけない
生涯にもらえる年金額など、本当に信頼できるのかわからないデータで若者と高齢者の対立をあおる構図が多い。しかし、本当に対立することで、問題は解決するのか?若い世代が元気に働ける社会でこそ、高齢者もいい生が遅れるのではないだろうか。


スウェーデンにおける就学前教育。
就学前教育士が存在し、子どもとの比率1:5で配置される。宮本先生見学時にはひまわりの観察中だったとのことだが、それを観察しながら、教育士はその場で子どもが考えたこと、言ったことを逐一書きとめる。そして、そのひまわりの記録等と一緒に、書きとめた記録をを父母らに見せることで両者が子どもの成長を共有し、話題にすることができる。豊かな縁ではないだろうか?
1歳児までは父母が育児休暇を取得し育てる(就学前教育に入る子どもは0%。育児休暇の制度が整っているため両親は子どもと過ごすのが「当たり前」)。その後は、2〜5歳の子どもの8割が入る。それほど多くの子どもが入るため、信頼度が高い。
→記録の持ち帰りは日本の保育園でもおこなわれている?と思うんだけど、これは保育士にとっては重い負担らしい。見る子どもの人数比が違うのだろうか…。
また、日本のように保育所が不足しているため、定員があいている0歳児の時点から預けておくというような保育をすることがなくなるかもしれない。一体何時まで預かってもらえるのだろう…でもスウェーデンでは子どもがいる場合にはたしか短縮で労働できたような?


・でたらめに賃金をあげるのではなく、子どもを大学に行かせるコスト、住居費などの不当に高い生活コストを下げるような努力が必要?
→親に大学までのコストを払ってもらうというのは、子どもにとってもプレッシャー。悪く言えば、金銭関係は上下関係を生むと思う…。だからこそ、就活のとき、これだけお金をかけてもらったのに、と自分は妥協できないし、親も圧力をかけてくるし、だからこそ血眼にならなくてはいけないのではないだろうか。自分で払うことにしても、その学費を稼ぐために大変なアルバイト生活を送るか、一歩間違えばブラックリスト入りの奨学金しか方法がない。自分で払えるならば、自分で払いたい。何故、日本の学費はこんなに高いんだろう?


・公的な社会保障を家族コミュニティに投げるのではなく、その家族コミュニティが大切だからこそ、それらを守るために公的な保障が必要。
また、家族のありようという、今までは私的で踏みいってはいけないと考えられてきたものに対して、これからは公的な保障が範囲を拡大してくる。そのため、エモーショナルな議論に踏み込まざるを得ない。それは、これから時間をかけて議論していかなければならない。しかしその対象が、ある一定の「モデル」に限定されてしまうのでは今と一緒。多様性を尊重する社会にすること!


スウェーデンでは「看取り休暇」が存在する。最大60日間。しかも、家族だけでなく、身近な親しかった人に対しても適用される!
→すごい!最期の瞬間を大切にする社会でありたいと私は思う…。がむしゃらに働いて働いて、親の死に目に会えないなんて、私は絶対いやだよー!そんなことを強いてるなんてもっと嫌だよー!


という感じでした。
個人的には、宮本太郎先生はお話をうかがっていても、やはりとても素敵な先生だ、と感じました。高校の校長が河合隼雄に聞いたという知性人の素養(謙虚さとユーモアのセンス)についてあてはまるじゃないの!なんて思いながら、お話を伺っていました。はー素敵だった。
でも、話を聞いていて思ったのはやはり、根幹には「労働」という概念があるということ。お金を稼ぐということと、労働するというのは常にイコールなのか!?というのはBIの会議なんかでさんざん言われていたことだけれど、やはり社会的合意を得るためには労働が根幹の制度のほうが理解を得やすいのかしらん、なんてことも考えていました。



うどん屋さんで、就活くたばれデモの実行委員のお二人にお話をうかがえたのもじつに楽しかったです!
(わーいまたおもしろそうな人と知り合いになれたー!)←心の声