【レビュー】百合子、ダスヴィダーニャ

女の子の友達が好きだ。
性愛的な気持ちではないように自分では理解しているけれど、他人と比べた時に異常な執着なのではないかと自分でそらおそろしくなる時がある。
それは、例えば彼氏が出来たと言われた時や結婚すると言われた時に、ぐわーっと襲い掛かってくる。結局のところ、わたしと友達との関係とは、約束事のない関係性で、そして結局婚姻制度に勝るようなものではないのだと思い知らされる。ある意味憎んでいるとすら言えるような男の子(ただその性別というだけなのでとてつもないヘイトです、すみません)に友達が取られてしまうという寂しさと、執着が混じり合った気持ちが処理できない。

この作品をを見た時、自分の中のそういう気持ちの影を二人の中にふっとみたように思う。
もちろん、湯浅芳子は男性が女性を愛するように百合子を愛しているというのだから、その気持ちには性愛が含まれているのだと思う。でも、叶わない執着というか、気持ちの濃淡の先にあるものは同じように感じた。

百合子、ダスヴィダーニヤ

2011年/日本/102分/監督:浜野佐知/出演:一十三十一菜葉菜吉行和子洞口依子大杉漣
原作:沢部ひとみ「百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春」、宮本百合子「伸子」「二つの庭」
製作・配給:旦々舎
まだレズビアンという言葉もない大正時代に、自らに忠実に生きた実在する女性二人の魂と愛の物語。
雑誌編集者の湯浅芳子は「女を愛する女」であることを隠さず生きている。一方、天才少女作家としてデビューし早くに結婚した百合子は夫との生活に行き詰まりを感じていた。そんな二人は出会って直ぐに惹かれ合う。見捨てられる夫を演じる大杉漣も必見。
湯浅芳子ロシア文学者、百合子は後に日本共産党を率いた宮本顕治と再婚した宮本百合子

百合子は好きなものと嫌いなものがはっきりしている。そして、境界を乗り越えて好きなものが嫌いなものに塗り替えられてしまったとき、再びそれを同じものとして愛すことができない、頑固さを持ち合わせている。
そういうひとに選ばれるのってすごく気持ちいいのだと思う。
才能のある魅力あるひとが他の選択肢を捨てて、自分を優先順位のいちばんにしてくれたこと。
それは存在を認められるということであったし、才能を認められるということでもあったのだろう。

わたしも選ばれたいと思ってしまう時がある。その子に主体的に選ばれることでもいいし、たまたまその時に一瞬神様に選ばれることでもいい。今日返信の手紙を書こうと思っていたら、向こうから手紙が来たとか、たまたま同じ日に冷え取り情報をキャッチして冷え取り靴下を同じタイミングで始めていたとか、同じドラマを見ているとか、わたしが読んでいた本をおもしろいと言ってくれたとか、そういう運命だ!と言いたくなってしまう瞬間が、ほしい。
明日また会おうねと言いながら、別れてしまうかもしれない。でも運命の瞬間が降り積もっているのであれば、思い出をきれいに均しながら生きていける気もする(たぶん強欲なので気のせい)。

芳子と百合子の関係を自分の元に引き寄せて語るなんて、ましてやこの時代にそういった関係を選んだふたりのことを現代の自分に当てはめるなんてどうかと思うけれど、それでも誰しも気持ちの濃淡の先にはそうした思いがあるのではないだろうか。友愛にも性愛にも区切られないまだら模様の混じり合った気持ち。執着と恋心と区別のつかなくなる、腹心の友。

ふたりの関係の破綻を予感させる、幸せな終わりが好きだった。だって、そうやって終わってしまうときがいつかはやって来るんだから、見ないふりをするよりはずっといい。

百合子にとってはもしかしたら気持ちの振れ幅のその時本気で選んだ選択肢の一つに過ぎないかもしれない。それでも、芳子にとっては永遠だった。その気持ちがなんだか一瞬でもわかるような気がした、映画だった。

「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」 (栗木京子)