個人的などうしようもない体験

先日、TwitterでRTされてきたブログ記事を見てびっくりした。わたしのブログ記事だった。しかも、それは3年も前の記事で私自身も久しぶりに読み返した。他人の文章みたいに感じた。
インターネットという空間に言葉を浮遊させておくことで、もちろん悪いこともあるんだろうけど、必要なひとが探し出してくれて、こんな風にボトルメールみたいにかえってくることがあるんだなとおもったら、自分の気持ちやらについてきちんと記録しておくべきだと思い立った。
前置きが長くなりましたが、わたしの受けたパワハラについて書こうとおもいます。

わたしは新卒で、ある職場の正社員になった。あんまり安定してるとはいえない職場で、公務員試験の内定をもらってたのに蹴ったことで、正直言って親にも大反対されたし、祖母にはなんと泣かれたりもした。今まで自分にかけられてきた学費やら、なんやらに思いを馳せると親の言うことに従うべきだったんだろうけれど、それでもその仕事に就きたいっていう自分なりの思いがあった。何度もぶつかりながら、結局親が折れてわたしはそこに就職することになった。わたしを含めて、5人しかいない職場だった。
どきどきしながら行った4月1日。一日オリエンテーリング的なことをしてもらう予定だと朝聞かされたけれど、いちばんえらいひとがやってきて、「そんなことはしない」と言い出した。そして、わたしに新卒としては到底できるわけがない仕事をふたつ示して、どちらか選べと言った。わたしは言っている意味がわからなくて、そんなのどちらもできないと答えた。でも、彼はどちらかしかないと頑なに主張した。しかたなく、ふたつのうちでできそうな仕事を選んだけれど、その仕事は外回りだった。いま考えても新人にやらせる仕事じゃないし、新人じゃなくても引き継ぎもなくやる仕事じゃなかった。
しかたなく、わたしは実際にその外回りに行った。心細く待合室で待たされているときに、そこの職場のひとらの「新卒の子がひとりで来てるらしい」「なんだってそんなのをよこしたのか、意味がわからない」みたいな噂話を聞いたときは、ほんとうに死にたくなった。そんなの言われなくても知ってたし、いちばん意味がわからなかったのはわたしだったから。
言い訳をするわけではないけれど、もちろんわたしはその業務命令に反論した。けど、無駄だった。命令だ、とえらいひとはくりかえした。俺は上官だ、ってバカみたいに軍隊のようなことを繰り返していた。
反論するのにわたしは社会人としてはどうかとおもうが、泣いてしまったわけだけど、えらいひとはそのことを自分のFacebookに書き込んだ。いま考えると、すごいことするやつがいたもんだね。新人を泣かした、みたいな書き込みだったとのことで、あろうことか、いいね!をいくつか、もらってたらしい。

そんな初日からはじまった仕事は当然毎日すこしずつわたしをすり減らした。ろくに引き継ぎもなされないまま、そこでアルバイトしていた経験があるからなんとかなるだろうとできない仕事をまわされる。外部で、頼まれたこと・期待された役割を果たせないことを露呈させてしまって、恥ずかしい思いをすることが何度もあった。

5月だった。前の担当者が拗らせた案件をわたしが処理しろと、またも業務命令された。状況も相当拗れて、かつ逼迫しており、入ったばかりで事情もわからないわたしが担当となるよりは、前任者に任せた方がよいと言ったけれど、行け、だのいいからやれ、だの言われて反論してるうちに、結局大きな声での言い合いになった。上官だ、といつもの文句を繰り返すえらいひとに、わたしは「あなたのために働いているわけじゃない」と感情を爆発させてしまった。向こうもひどく怒鳴った。俺の命令を聞け、聞けないなら辞めろ、そんなやつはいらない、とかそんな感じだった。よく覚えてない。
とりあえず覚えてるのは、いちばんえらいひとの次にえらいひとが、家に帰ったわたしにわざわざ電話をかけて、わたしだけが悪いみたいな注意をえらく長い時間、してきたことだ。その案件に関しては引き続き自分が担当する、わたしがえらいひとに対し怒鳴ったことは感情コントロールができていなくって社会人として失格なのだから反省すべきだ、えらい人に歯向かった人間としてみんなの記憶には残ったのだから矛を収めろ、的な。
アルバイトのときはすごく信頼してたひとは結局えらいひとの味方だった。言われた言葉は、わたしを粉々にした。

6月くらいの会議。
入って3ヶ月も経つのにこんなに仕事ができてないなんて論外だ、いままで入った人間のなかでこんなこともできなかったやつはいない、給料を払う意味がない、みたいなことをえらい人にみんなの前で滔々と言われた。なんかほんと、血が凍ったかとおもった。あくまで冷静に、「わたしを採用したということは新卒の仕事のできない人間をいちから教育をするという義務を当然ながら負っていることと認識していたのでは」と伝えたが、ここでアルバイトしていたのだから当然仕事ができるとの認識だった、ここまで使えないとは思わなかったと終始言われた。なによりショックだったのはわたしがそういうつらく、硬くなっているときに誰も矢面に立って助けてくれるひとがいないということだった。
ちなみにわたしはつらかったけど用意周到だったので、その会議は録音してある。でも結局、呪いみたいにデータは消せずにいる。今でも、わたしは呪われている。

その他にもエピソードはあったけど、そんな職場をはっきり辞めようとおもったのは、単純なことだった。
ある暑い夏の日、男女兼用のトイレを汗だくで掃除してたとき、えらいひとがやってきて自分のお茶を飲んだコップを流しに置いて行ってしまった。たった、それだけのことだった。
でもわたしは耐えられなかった。たった5人しかいなくって、歳だってそう変わらないえらいひとは、掃除やら食器洗いやら、そういった些細な、その場所を維持する努力をまったくしなかった。そういうことを疎かにするくせに、大掃除みたいな目立つことには積極的に参加して、指示を飛ばす。でも、必要なものがわからないから、なんでも捨ててしまって、間違ってわたしの靴が捨てられたこともあった。
だから、ずっとここにいたらわたしはだめだ、ってはたと気づいた。ここでいいように使われる。そういう些細だけど大事なことを瑣末などうでもいいこととおもっている、このひとのコップなんて、洗いたくない。

仕事を続けながら、なんかカウンセリング講習みたいなもので心の平穏を保ちつつ、転職活動をした。
親には内緒のままだった。猛反対を押し切っての就職が破れたことを、どう切り出していいかわからなかった。結局意を決して言ったらなんでもないことだったけれど、今でもあの時捨てた選択肢をねちねちと詰られる。
今の仕事もサビ残多くて大概クソだし、辞めたい気持ちはあるけど、前みたいに突然涙が出るみたいな虚しさはすこし減ったようにおもう。
結局、新卒で入ったこの仕事を、わたしは10ヶ月で辞めた。

ハラスメントを受けた相手に復讐したいっていう気持ちの後ろ暗さに、自分で落ち込むことがいまだにある。社会的にあんなやつ、抹殺してやりたい。信頼されて、大きくなっている影に吐き気がする。

パワハラ、あるいはセクハラにしたって、受けたひとの選択肢はたいてい我慢して続けるか、辞めるかしかないのではないかとわたしは今回自分がパワハラを受けてみておもっだ。裁判をする、闘うってことはものすごく労力がいる。労力とはお金のことだし、精神力のことだ。そういうものをたくさん使っても報われないことだってある。だから、たいてい前述したふたつの選択肢におさまる気がする。
あるいは我慢の選択肢にしたって、相手のことを変えるなんてことは、絶対できない。たとえ相手を謝らせたって、結局そうなんだとおもう。相手が変わる瞬間は訪れるかもしれない。でもそれをわたしは待てなかったし、自分が傷つけられてまで相手を待つ道理もない。

だから、とりあえず今そういうハラスメントを受けてるひと、受けたひとがいるならば、あなたは悪くないっす!ってことを、わたしは言いたい。あなたは悪くないです、相手が悪いです。まずはそこからはじめたらいいんじゃないかと思うのである。べつに事実なんて、あなたがわざわざ検証する必要はないのです。あなたが傷ついたのであれば、それはほんとのことなのです。
でも、しかしそれをもってして相手を変えられるかって言ったら、さんざん言ってるように否だとおもいます。だから、静かに検証してください。どういうところが耐えられなくて、どういうところは耐えられないか。そのうえで考えてください。あなたはどうしたいですか?仕事を続けたいですか?辞めたいですか?
ハラスメントを受けてると、ほんとに尊重されていないという事実にすごい磨耗する。でも、それでも考えて選択してほしいです。
わたしの大好きなドラマ脚本家に木皿泉というひとがいて、Q10というドラマの中にこんな台詞が登場します。
「死ぬほど考えるの。それが後悔しないための、たった一つのやり方よ。」

完璧な明日なんて訪れないけれど、今を絶望しない、あなたが打ちのめされない明日があなたに訪れることを願ってます。わたしの個人的な体験を火にくべながら、それを祈ってます。