【レビュー】さよならを待つふたりのために

ずるい。この本はずるい。だって、さよならはいつだって悲しいじゃん。それが永遠のさよならを予期させるならば、なおさらでしょ?
それに、本を買うのに慎重なひとがもしこの本のあらすじを読んだら、連想するのは一リットル泣いちゃうやつ(ドラマのほう)とか、世界の中心で愛を叫んじゃうやつだ。病気に冒されたガールミーツ、ボーイ。連想される24時間テレビ。わたしもこの本の裏表紙を買ってから読んだとき、ああこれはまずったかもって思ってた。だって、それに題名がさよならを待つふたりのために、だよ?なんということでしょう。おもしろいって評判だから買っちゃったけど、なんで読みはじめちゃったんだって、さよならの予感にざわざわしながら、困ったなあって思ってた。
でも、途中で読み止められなかった。ヘイゼルやガスは、あるいはアイザックは、ヴァン・ホーテンはものすごく魅力的だったから。たとえば、思い浮かべるガスの造形がすっごくハンサムとか、そういうことじゃなくって(それもあるけど!)。そこにあるのは、ユーモアだったから。弱さだったから。ステレオタイプの感動的な物語のなかにいる崇高な人間たちじゃなくって、そこにいたのはわたしがともだちになりたい女の子や男の子だった。

NHKにバリバラって番組がある。この番組は「きらっといきる」という番組のスペシャル企画からはじまった。一部の側面しかとらえられてこなかった、障害者の、あるいは福祉の番組ではなく、障害者自身の番組を目指して今も試行錯誤している。扱うテーマはいろいろ。一人暮らし、就職、仕事。そして、恋愛とセックス。車椅子のひとのモテテクニックを紹介してたこともあったし、合コンを企画してるときもあった。MCのグレースちゃんはそこで知り合った男のひととたしか、今も付き合ってる。わたしがすっごくだいすきで、尊敬してるMCの玉木さんは自分のプロポーズについて聞かれて、ものすごく照れてた。年末は毎年、お笑いもやってる。時には障害だってネタになる。統合失調症高次脳機能障害。脳性まひ。障害者を笑うんじゃなくって、一緒に笑うことを目指しているんだとWikipediaには書いてあった。彼ら、彼女らも偶像のなかにおしこめられようとしている。でも、みんなそんなことねえよ、って思ってたからバリバラは変わったんだろう。
だから、読み終わった時思い浮かべたのはバリバラだった。障害者や病気を患ったひとたちが、背負わされるイメージを、ヘイゼルやオーガスタス、アイザックはユーモアで切り刻んで、飛び越えていった。時には躓いたし、傷ついていた。でも、そこにとどまらなかった。自分をかわいそうだとおもわなかった。絶望しなかった。(わたしもそうできるかな。そうなりたいと思ってる。)
生きている以上、いつか死はやってくる。普段見ないふりをして目を背けてても、約束を果たしにやってくる。しかも、すっぱりとやってくることなんて稀で、ごはんが食べられなくなったり、排泄が自分でできなくなったり、じわじわと近づいてくる。でも、そのことへのおそれさえ、ヘイゼルやオーガスタスはしっかりと見つめていた。そういうことを真摯に描いた物語だから、最後まで読むことをやめられなかったんだと思う。たとえ、物語の途中でその結末に予想がついたとしても、ヘイゼルやオーガスタス、その他の多くの登場人物たちが何を考えていたのか、何を話すのか、知りたくなってしまったのだ。だから、ずるい。あらすじと中身が一致しない。不思議な物語だ。

ヘイゼルとオーガスタスは運命のふたりだったのだろう。でも、ふたりはさよならを待つためのふたりではなかったのだとわたしは思う。ふたりは、それがたとえ短い時間であっても、一緒に生きるための、ふたりだった。
…うーん。言葉を尽くして、この物語を話そうとすればするほど、ヘイゼルやオーガスタスが嫌っていた類の賛美になりそうだ。だめだなあ。

しかし、あれですね!好きだって言った本を次回会うまでに読んでくれるなんて、なんかそれだけでたまらなくなるよね。わたしはそれだけで、きゃー!って思った。きゃー!

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)