わたしたちの間を流れる権力という川について

わたしとあなたという別の考えと心と体を持った人間がいたとして、お互いがお互いを尊重しあうということはこんなにも困難なのだろうか。
どうやら、わたしたちの間には、ときに権力という川が流れていて、お互いの言葉を流していってしまうらしいので。


力関係の違いというのは、微妙だけれど、どこにでもある。
先輩と後輩。支援者とクラエント。先生と生徒。上司と部下。親と子。客と店員。
わたしがもし、わたしが傷ついたということを主語にしてあなたに心を語ったとき、あなたは自身の行動や対応についてどうおもうのだろう。
よくしてやったのに。わたしのことを考えての行動だったのに。崇高な信念があったのに。優しさだったのに。そう、おもうだろうか。
そう言われてしまってはもうわたしに踏み込むことができないとわたしを遠ざけるだろうか。
暴力の告発は、暴力となりうるのか。
(なりうるだろう。しかし、その吐露を退ける理由とはならないだろうとわたしは信じる)
(復讐のために傷つけるのではないのに、相手を傷つけること。わたしがもし完全になれるとしたら死んだあとだけ。完全なる正義などない)


あなたは、もしその川岸に立つわたしたちのそのどちらも大切にしたいと願ったとき、見ないふりを選択するのだろうか。


わたしは踏まれる側について、考えたいとどうしても思ってしまう。川は簡単に濁流となってあなたを飲み込むし、権力のあるひとは堤防を作ってちゃっかり自分を守ったりするだろう。
そんなことになったら踏まれる側は溺れるし、流されてしまうだろう。
弱いものは死ぬしかないのか。
そんなのはいやなのだ。
わたしはとても難しいことだとはわかっていても、あなたを川の前で喪いたくない。心を殺すような思いをしてほしくない。
たとえ川を飛び越えておなじ岸に立つことは難しくても、たとて川を埋めて一続きにすることは難しくても、どんなに細い橋でもいい。わたしは、あなたと言葉をかわしたい。


中立なんて立場はない。わたしもあなたもなにかを選びとっていくしかない。立つ場所では重力がある以上、何かを踏みつけてしまう。わたしたちができることは、せいいっぱい心をそそいで、考えて、選びとることでしかない。そして、踏みつけているものについて考えることでしかない。
謝罪のことばではなく、あしたのわたしとあなたについて考えてほしい。一緒に生きていくためのことばを、選び取って欲しい。