せかいぶんがくぜんしゅうかんけつきねんいべんと に関する自分用防備録

・世界文学全集と冠することに迷いもあった。現代世界文学全集とするなどいくらでも細かくごまかす手段があった。あまりにも看板が大きすぎるから。しかし、今は後悔はない。
・英語では全集をコレクションという。全とつくのは日本語独特。
英語圏主流の世界文学全集的な流れをくみたくなかった。どこか辺境的であり、女性作家であり、旧植民地出身である作者などが結果的に集まってしまった。
・翻訳するときにいちばん伝えたいのはユーモア、でも翻訳で一番失われやすいのもユーモアである
・日本の翻訳はここ20年で飛躍的に良くなった
・訳するうえで自分の時代のことを一切持ち込んでいないつもりでも、訳は20年ほどでふるくなってしまう。まったく書いていないつもりでも、どこかにその時代の香りを持ちこんでしまう。
→原本は手をつけてはいけない、アンタッチャブルなものであるというコンセンサスがあるからではないか?日本人である私たちのシェイクスピアは訳をかえれば、読みやすいものになるが、英語圏の人々のシェイクスピアは読みにくい。イギリスの劇団員に、ロシア語や日本語は訳をかえればいいのだから楽だよな!といわれたことがある。
・翻訳をするということが変わってきた。いままでは大学のフランス語圏の権威がいて、助手がいてそのひとたちによってトップダウン的に訳されてきた。
・昔の日本人の翻訳理論は、ほんとうに頭がよかったせいかすごかった?しかし、そのころの西洋のほうをむいている姿勢を継承しすぎてしまったともいえる。
・人生などのライフスパン、人生計画というものを考えて訳をやったことはない。出したいテキストがあって、それを出してくれる出版社がいて、自転車操業的に訳している(笑)
・全然読めない言語の時は自分には訳でしかその本を確かめることが出来ないけれど、英語の本を読んだ時やっぱり原本が良いと思う。自分の中での読者は訳が良くなってきたこと、注目をあびるようになったことを歓迎している。しかし、自分の中での翻訳者はそれをあまり歓迎しない?(こうのすさんは信頼しすぎないでほしいとおっしゃる)(池澤夏樹はそれは両方すいすい読むことが出来る人のぜいたくな悩みだとおっしゃる)
・柴田先生が訳し、共振してきたのは白人男性と言うマジョリティ的存在。自分の生い立ちの中に書くものを見出せない彼らは、精神的、もしくは肉体的にも身体を様々な場所に移動させることで物語を獲得していたりする。(池澤夏樹的な文学もそうらしい。本人談)だからこそ、書くものは実直だが、だからこそそういう部分にどことなくおかしみが生まれたりもする。
・海外では書店で海外文学、国内文学という棚分けになっていない。日本だけ?

・19世紀で文学はすでに完成した、芳醇な完璧な果実を収穫した感がある。その後はその残滓の中で、それを下敷きに何かをつくっているのではないだろうか。
・まぐろ(たかくないやつ)にしょうゆにすだちをしぼって、タバスコをいれてたべるとおいしい
・昔はドストエフスキーをみればすべての人間がいるといわれて、たしかにそのとおりだった。しかし今はちがう。わたしたち現代の人間の側がそれを逸脱してきてしまった。カート・ヴォネガットが小説のなかで似たようなことを書いている。
池澤夏樹レスコフ「魅せられた旅人」、そして「デヴィット・カッパーフィルド」推し。

・「17歳という感受性の強い時期に読んだほうがいいと思われるものはありますか?」(若い高校生だから許されるけど、この質問ってどうなのよ。世界文学全集ぜんぶ読めばいいじゃーんと思ったし、だいたい自分のことを感受性の強いとかいうのもなんかいけすかないぜ…)
柴田さんは17歳っていうのは自分が世界で一番偉いと思える最後の時、そしてそれをよくあらわしているということでキャッチャーインザライ
池澤さん、辻原さんはデヴィット・カッパーフィールド
鴻巣さんはドストエフスキー
石牟礼道子苦海浄土を入れたのはどういった理由があるのですか?
はじめに24巻まで出すと決めていた時は実は日本の作品は入っていなかった。しかし、あとになってこれを入れるべきだった、と思い、6巻分多く出すと決めたときに収録を決めた。彼女の作品は小説的であり、ルポタージュ的であり、女性の書いたものであり、辺境の文学である。それは池澤夏樹が選ぶ、この世界文学全集の要件にかなうものだった。
もちろん、入れるようなもの、つまり世界的な評価を受けているような作品(たとえば村上春樹など)はたくさんある。しかし文庫で簡単に手に入るものをわざわざ入れる必要はないと思った。
彼女の作品はその内容に値するほどのスポットがあたっているとは言い難いように思う。しかも、3巻すべてを手にいれるのはなかなかむずかしい。おそれおおくもスポットを当てるべきではないかとおもい、今回収録した、とのこと。
くしくも原発の事故が起こり、再びこのなかに書かれているような事態が繰り返されている。今読まれるべき作品であると感じる。(この話の時だけ、池澤夏樹の語気が強まったのが印象的だった)


メモとってないので、完全に記憶による文字起こし(というか自分的防備録)。まちがいがあったらすみません…。