旅行記前篇 鳥取編

私が今回、広島・鳥取に行ったのは3つの目的があったからでした。
ひとつめは、フラカンとせっちゃんの奇跡の対バンライブに行くため。
そして、ふたつめが私の敬愛する作家尾崎翠が産まれ育って死んだ場所を、この目で見るため。
そしてみっつめが、原爆の痕跡を自分なりにたどるため。

というわけで、旅行記鳥取編。
鳥取を今回の旅行の予定に入れたのは、尾崎翠の面影を訪ねたかったから。
私はこの作家に出会って、まだほんの2年かそこらなのに、彼女にとんでもなく夢中でそりゃあもう子どもが生まれたら名前は翠にしたいと考えているくらいなのである。それはまあ妄想だけど。でも半分は本気。
私が彼女の文章の何が好きなのか、私自身うまく説明できない。この掌編が好き、とかこの話の筋書きが好きとか、この文章が好きっていうのはいっぱいある。でも、最初に彼女の文章を読んだ時の衝撃にはとてもそれではおっつかない。この執着はとても説明できない。
自分が妄想たくましいということも、夢見がちすぎて現実が見えていないことももちろんわかっている。だから、好きなのかもしれない。苔の恋を研究する学者なんて、しかも遠回しにやさしさを与えてくれる不器用さをもった理系の男の子なんて、私のつぼをとらえまくっている。たしかにこの人の小説は少女趣味全開。だが、それなのに毒がある。なのに、透明感がある。なのに、どこかエロい。なのになのに、が永遠に続けられるほど私は翠の小説について言葉を発そうとしてしまう。なにもかもが、私にはまぶしくって、そして惹かれてしまう。
もうほんとに、どう説明していいかわからない。けど、この人の文章を読むとよくわかんないんだけど片思いをしているみたいに動悸がしてしまう。
それぐらい、好き。というか、嫉妬に近い妄執。
だから、私はこの人の産まれた土地をなんだか唐突に尋ねたくなったのだ。きっかけがほしかった。それがライブだったから、鳥取へ、行くことにした。

鳥取はこんなことを言ってはあれだけれど、とんでもない田舎だった。県庁所在地のある駅があんな建物な都道府県は、はじめてだった。7時を少しすぎたころに鳥取の駅前に着いたのに、あまりに人がまばらなのでどこかで何か手違いが起こったのかと、面食らったぐらいだった。しかし、そこは鳥取。何度確認しても、そう書いてある。
開発されていない、というよりは廃れたという感じに電飾は暗く、そして何故か異様にカフェばっかりある。名古屋風の、朝にすっごくごはんがでたりするようなものや、コーヒーの匂いがするくせにナポリタンスパゲティ定食とかいう炭水化物とりまくりの定食がならんでいたりする。すごい。リアル天然コケッコー
でもなんだか、だから好ましい。なにもないということはなにもかもあるということなのだ。たぶん。

鳥取で私が行きたかったのは、3か所。
尾崎翠資料館があり、翠が産まれそして多くの時間をすごした岩井温泉、特別資料展が行われているという鳥取県立図書館、そして翠の墓のある寺。
はじめに一番遠くの岩井温泉から攻めようと考えていた。資料館がどんなものなのかも、ものすごく気になっていたから。
なので、そこらへんの適当なファストフードで暇をつぶすと、私は電車で岩井温泉のある岩美という駅にむかった。
東京の電車は全部の扉が全部の駅で全部開くわけだけど、鳥取の電車も開閉ボタン付きだった。寒い地方の電車はそうだって、誰かが言ってたけどあれってほんとなんだろうか。
車内には高校生。白いポロシャツの襟をらいおんのたてがみみたいにたてている。しかし、みんな一様に携帯をにらんでいるのは東京と一緒。でも本数が少ないせいか、電車の中に学生の数はほんとにあふれんばかりだった。私はなんとなく、桐島部活やめるってよ、のことを思い出していた。ああいうコミュニティの狭さや派閥のでき方はおそらくこういう土地のほうがえげつない。学生時代は外の世界が見えないことが多いし、おそらくなおさらだ。けれど、私から見れば、そういうふうなほうがなんとなくまぶしい。すべてがここで完結している。純粋に羨望の視線を外だけに向けて生きていけるような気がしてしまうから。
決してそんなこと、ないんだろうけど。

おっと話がずれてしまった。
高校生と一緒に目的の岩美駅で降りると、岩美駅はほんとになんにもなかった。これはうそじゃない。コンビニも商店も、お土産屋さんもない。駅舎があって自動販売機が並んでいて、さびれた観光案内所とさんさんと降り注ぐ日光の下に立つバス停だけ。
バスの時間を調べてくる、なんていう計画性を私は持ち合わせていないので、その場で時刻を調べると、次のバスは20分後だった。かろうじて調べてきたメモによると、尾崎翠資料館は岩井温泉というバス停でおりてすぐだという。岩井温泉まではバスで7分。歩けなくもないな、と私は考えたので、観光案内図で道を確認して炎天下の中歩きだした。
しかしそれが間違いだった。そもそも、車の速度が違う。東京のバスで7分と違うのだ。なので、歩けど歩けど着きやしない。一本道のはずなのに、目的地すら見えてこない。
どうせ、開館は10時だろうから、と思っていたけれど、鳥取はこのときほんとに暑かった。ついったーやmixiで東京のみんながつぶやく大雨が信じられないほどのかんかん照りだった。
干物になるんじゃないか、と思いつつ岩井温泉までやっとたどりついたのは9時50分。一時間とすこしかかっていた。とりあえずの結論。車の免許をなるべくはやくとるか、夏には交通費を惜しまない。

あんのじょう資料館は10時から。しかし10時をまわっても誰も現れないので、この資料館の本棟花屋旅館に突撃して開けていただく。
想像していたより、ずっと小さな資料館だった。1畳ぶんくらいのガラスケースと、翠の人生を表す年表、彼女が書いた文章の拡大が何枚かと、本棚に無造作に積まれた出版物、そして翠に関係する企画展などのパンフレット。それだけだった。
ガラスケースの中には彼女が書いた直筆の手紙がいくつかと、なんの説明もない衣類が2点。おそらく翠のものだろうが、彼女の翠という名前に反してそれはしゃけみたいな色のピンクのセーターだった。
ほこりっぽい空間。そうじすらされていない。でもそうなのだ。
きっと訪れる人も少なく、ほこりっぽいなかで私を待っている。そんなうらさびれた空間をおそらく私は求めていたのだ。すべてを見ても30分〜40分で済んでしまうほどの展示品。でも、彼女はこの土地で生きていたのだ。東京で作家になる夢を半ばにしたまま置いてきて、この土地では文筆の仕事をしていたことを親族にすら言わず、ここでその才能に見合わない長すぎる余生をすごし死んでいった女性。
行く前より、翠のことが好きになってしまった気がした。というより、土地を訪ねたことで自分の経験の、体の一部となったのだろう。うれしい。

次のバスまで時間が空いてしまったので、私は意味もなく温泉マニアと化した。なにしろ、あせだくだった。ひっこみがつかなくなって岩美の駅からここまで歩いてきたせいである。バカみたいだけど。
温泉は実に気持ちが良かった。温度が高くて、からだがほかほかした。夏なのに。
岩井温泉は別名ゆかむり温泉というそうで、ゆかむりというのは温度の高いお湯を肌に叩き込むところからきている、らしい。でも、おそらく近所に住んでいるのであろうおばちゃんは入浴もせず、頭だけ洗って帰ってしまったし、壁に書いてあった謎のひしゃくの絵なども正直なんなのかよくわからなかった。謎。

そしてそのまま、バスで鳥取県立図書館へ。
し。か。し。
これも事前の調べが足りていなかったせいなのだが、なんと企画展は私が言った前の週の日曜日で終わっていたのだ。ほんの5日のニアミス。縁がないことを表しているみたいでかなしい、と思いつつもしょうがないのであきらめる。だだをこねてもしょうがない。いきあたりばったりの旅をしているとこういうことはよくあるので、あきらめるくせだけはついたようだ。
仕方がないので、図書館から歩いて5分ほどの距離にある、翠の墓所へ向かう。
住宅地の中にある、小さなお寺。
一応、「尾崎翠の墓」という目印がたっており、中にも手書きの文字でやじるしがめぐっている。
夏草がうっそうとしたちょうど寺の裏手、墓所の一番奥に翠の墓はあった。墓の前にはここ最近建てられたらしい目印もたっている。
最後にいつ親族が訪れたのか、墓前の花は枯れ切っていた。しかし、この暑さでは仕方がないだろう。私は自分が何も持参しなかったことを大いに後悔した。それだけ好ましく思っている作家だったのだ、墓を訪れるにあたって花ぐらいは持参するべきだった。しかし、県立図書館があるあたりとはいえ、歩いてきたところ商店街に花屋はなかった。駅前にあったジャスコでなんとか用意してくるべきだった、と考えつつも仕方がないので、あたりの草を払い、持っていたウエットティッシュで墓の前面を拭く。なんという現代っ子の墓参り。今考えると最悪だが、このぐらいしか持っているものがなかったのだ。
最後に墓の前で手を合わせる。あなたの作品に突き動かされてここまで来てしまいました、とさりげなく報告をして、そこを後にした。

予定に入っていた県立図書館見学がなくなってしまったので、時間が空いてしまった。
そこで、鳥取県がものすごく推している観光スポット、鳥取砂丘に向かう。
鳥取砂丘へは県立図書館からふたたびバスを乗り継いで15分。駅からだと10分ぐらいだった。でも、またバス停から砂丘までしばらく歩くし、ほんとに車の免許、なんで私持ってないのかしらん、と思ってしまう。
私の中の貧困な発想から行くと鳥取砂丘といえば、ハチクロ。山田さんが鳥取で働く野宮さんのところにおしかけ、そして一緒に砂丘を歩く、あれである。んで、ミュールの中から砂がこぼれおちてどうしたこうしたというのがあった、あれである。
実際の砂丘も正直そんな感じ。そういう幻想を抱いたつがいがたくさんいましたとも。あと中国人。
砂はほんとにさらさらと軽くって、足がずっぽりとはまる。風が吹くと砂が巻き上げれて、どっちかっていうと、ハチクロよりは安部公房砂の女」。
そして脳内BGMはガンダーラ。もしくはモンキーマジック。なぜなら西遊記っぽいから。
それぐらい圧倒的。大きな砂場。
そして人は山があれば登るようで、正面に見える馬の背と呼ばれる砂山に次々登っている。私もそれにならい、砂山をのぼる。あつい。しかもまわりが中国人ばっかりで大声でしゃべっていて、雰囲気が出ない。こわいわ。
登りきると、向こう側に見えたのは日本海だった。青い日本海。登った時よりも急こう配でとてもじゃないが、降りる気にはならない。下にいる人がものすごく小さく見える。
そして文系の私にはよくわからない。砂丘って…何?ここって…砂浜なの…?じゃあ砂漠っていったい…!?
しばらく風紋や打ち返す日本海を見ているふりをしながら、あせだくになってあがってくるカップルが手酷く転ぶ姿やミュールに日傘さしまくりサングラスに腕ガードで日焼け対策ばっちりだけど、銀行強盗みたいになってる女の子のなどを観察していた。日本の女子はどんなに暑くてもかわいこぶるスピリッツを持っている。特に関西方面女子。尊敬。
そして、これは砂丘とは関係なく前からすごく気になってるんだけど、男5人女1人とかのグループってなんなの?どういう経緯で旅行することになり、グループ内の男女関係はどうなっているのかがすごく気になる。けんかをやめて!状態だったら楽しいのに。
そこでそんな馬鹿げたことを考えながらしばらく時間をすごしてから、近くの昭和のかほりのする売店で21世紀梨ソフトを食べる。美味。暑いときのアイスはいい。梨の味がよくわかんないけど。
そしてそのまま宿に直帰し、近くの小料理屋であきらかにジャスコで買ってきた煮物などの小皿をだす定食を食べ、お土産を物色し、この日は終了。

あんまりに長くなってしまったので、2部にわけます。
次は後編、広島編へ。