さよなら2017年

2017年も舞台を観たので、まとめ。複数回観たやつもあるけどとりあえず各演目について感想をば。

1月
甲鉄城のカバネリ
演劇ってか謎解き。マリオとピーチ姫とクッパかよっていう芝居を見た後お姫様を助けに行くっていうやつで、なんかもう旧態依然としたそのジェンダー観…と頭を抱えてた。推しは殺陣がまだテニスラケットだった。謎解きはわりかし楽しかった。
フランケンシュタイン
柿澤×小西、中川×加藤で二回観る。完全にBLだったので頭沸騰した。北極で運命的に再開して2人で死んだのでなんかもううわああああってなった。歌の難易度もすごいし、役柄が2幕で変わるのも結構おもしろかった。韓国ミュージカルすごい。本国韓国verも観てみたい。来年やるらしいことを聞いているのでやや本気で観に行きたい気持ちになってる。
わたしは真悟
高畑充希ちゃんと門脇麦ちゃんがブランコ乗ってる最後のシーンがかわいかった…。成河がピーナッツみたいな格好して気持ち悪い動きするんだけど、それがなんともよかった。話は原作好きの人からするとイマイチだったみたいで、確かにまあ盛り上がりには欠けた。オープンリールオーケストラというグループが生演奏しての上演だったんだけど、録音した声やらを逆回転させて音楽にしたりとおもしろかった。
しゃばけ
うーん。。。。。キャスト的にミュージカルにする必要を感じず、ストレートでよかったんじゃないかと思った。なぜなら歌が下手だから。いっそリップシンクでもよかった。屏風のぞきの藤原さんの所作がすごい好きだった。

2月
ロミオとジュリエット
なぜか舞台設定が現代になっていて、主人公たちが携帯電話やパソコンを持っているので、結局連絡の行き違いで死ぬっていうなんかもう情緒もくそもない展開に劇場で倒れそうになった。「神父様からのメールを見なかったの!?」は今年聞いた一番クソなセリフだと思う。広瀬くんがかっこよくてやたらガン見した。ウェイウェイ感すごかったけど。
テニミュ六角公演
六角公演だったけど、わたしの思い出は氷帝の小早川くん宍戸さんの千秋楽の涙の美しさに全部持っていかれてしまった。せーちゃん菊丸はまだ弁当をただ開けたり閉めたりしていた。食べろ、食べてくれ。
・ビッグフィッシュ
浦井健治観に行ったんだけど、メインは父の川平慈英の物語だった。可もなく不可もなく。

3月
・炎 アンサンディ
今年ナンバーワン。麻実れいさまが素晴らしすぎたし、こんなに物語観ながらドキドキして、嫌な予感に苛まれたこともない。バスが爆発するシーンがあって、爆発物の紙吹雪が舞い散るんだけど、それがあまりに美しくて、涙が止まらなかった。来年2018は同じワジディ・ムワワドの岸リトラルがあって、演出家さんも同じなのでとても楽しみにしてます。シアタートラムで2月、まだ幕は開いてないけどおすすめです。
アルジャーノンに花束を
原作の障害の捉え方がわたしとかなりずれるところがあって、あまり好きになれなかった。「賢く」なるというのがIQがあがることで、子どもっぽいべたっとした喋り方からすらすら喋り方になるっていうのも、知的障害の表現として受け入れ難かった。星取表に幼稚園生用みたいなシールつけてたのも、解釈違いすぎて結構腹が立った。でも真ん真ん中に立ってる矢田ちゃんの歌を聴けたのはよかった。
・ペダステ
中の人の先輩後輩関係などをキャスト間に見出して楽しんでいた。鏑木くん役の彼のエゴサがすごかった。SNSの更新もなく、秋公演は鯛ちゃんに戻ってたのでちょっと心配。
・刀ミュ
推ししか観てなかった。一部の話があまりに雑というか、徳川家康と信康の話をやるのであればなぜ殺すことになってしまったのか、殺さざるをえなかったのかが物語を物語るうえで肝心要のところだと思うんだけど、そこを語るのを放棄してしまったのが本当に残念だった。愛する人を殺さねばならない葛藤はあるのに、なぜ殺さねばならないのか、はない。歴史を変えてはならないからしか理由がなくて、じゃあその歴史はなぜそのように至ったのかは物語らない。しかも結局信康生きてて農民に下ってたっていうオチも、お前らには帝王学っつーもんがないのか!って感じでなんだかなーって感じだった。でもいっつも2部で推しがかわいいから結局終わった後は頭爆発してた。
・ハイステ
テニミュから観劇趣味に入ったクチなので、主人公校が負けるってのが堪えた。最後挨拶するところ、すごい悔しそうにしてる烏野観ながら、その美しさに圧倒されてた。毎回本気で応援してしまって、どうなるのか知っていながら泣いちゃうのは不思議だけど、舞台の上での熱意に今日こそは勝つんじゃないかって思う瞬間があったからかもしれない。
・ソルシエ
良知さんの服装とメイクがとにかく好きすぎる。ピアノの生演奏で歌える人ばかり、よくまとまった作品でしかも再演としてまた練られてて、わりと楽しめた。
SHINeeライブ
ウィメンズマーチで会ったフォロワーさんに誘ってもらって行ってきた。女の子たちがそれぞれにおしゃれしてきてキラキラした目ではしゃいでて、自動制御のペンラが美しくて、アイドルがめちゃくちゃ愛されてるって素晴らしい光景だなって思った。行ってよかった。生で観ておいてよかったです。
・わたしは誰でしょう
平埜生成くん好きです。物語が合わなかった。わたしたちが語る戦争は被害のそれだけでいいのかと自問してしまった。

4 月
・チムライ
氷帝学園に踊らされた…。ファッションショーってなんなんだと未だに思う。お見送りが最後になった時があって、がっくんが「よっしゃいくぞ!」とか言いながら、宍戸とジローも一緒にレンジャーやってくれたのめちゃかわいかった…。みそしおしょうゆみたいなこと言ってた…。
・きみはいい人、チャーリー・ブラウンスヌーピー
今年のベスト2。キャラビジュアルが出た時完全にヤバイ感じしかしてなかったけど、蓋開けてみたらかわいいミュージカルで大好きなやつだった。古田一紀ライナスはもうかわいすぎて、目の前で指チュパされたとき、凝視してはいかん!と思いながらガン見した。中川晃教さんのスヌーピーのサパータイムすばらしかったし、高垣彩陽さんのルーシーが声から衣装から全部好きすぎてぜひ再演してほしい。年明けtenthで歌ってくれるかなーと期待してます。
・刀ミュ凱旋
2列目にて目の前で脱ぐ推しを観て、興奮がすごかった。ライビュも観たんだけど、カメラで見ると強制的に推し以外の視点で見るので、見たことなかったとこいっぱいあって、何故か新鮮な気持ちになってしまった。
エレクトラ
高畑充希ちゃんと白石加代子観に行った。芝居の上手い人しかいなくて、鳥肌ざわざわしていた。全然関係ないけど、カーテンコールの時席を立って壇上へ手紙を渡そうとするおじさんがいて、なんか悪意があったらおそろしいことになりそうとこわくなった。
・ハイステ
お別れの匂いのする挨拶、いつだってさみしいです。
・城塞
途中までおもしろかったのにジェンダー観が合わず。演出家さんは好きなので、引き続き観てみる。

5月
ドリライ
にちかちゃんの眩しさに、あー舞台に立ってしかも真ん中に立つ人っていうのはなにかに選ばれてるんだなって思ってた。横浜遠かったので次も横浜だったら次は泊まろう…。楽が終わった後そのままホテルに泊まって翌日ロシア行きの飛行機に乗ったので、なかなかしんどかった。
・グレートギャツビー
今年ワースト1。小池修一郎はたぶん原作読んでない。見つかってしまったらあらゆるフィッツジェラルドファンに怒られるとおもうから、もうやらないほうがいいと思う。特に謎のゴルフ対決、デイジーがギャツビーをずっと愛していたという改変、死んだ後に墓参りに来るという改変は本当にひどい。何を読んだんだお前は。観た後壁打ちが止まらなかったし、未だに新鮮に怒ってる。頼むから原作を読め。

6月
レミゼラブル
ふうかちゃんかわいすぎる。全体的に絵面が暗かった。左翼の話だと思ってたけど、ジャン・バルジャンというひとの人生の中で与えてもらったものと彼自身が与えたものの話だった。有名どころを知らんですみません。
・アンプラネット
ドルステは不文律がわかんなすぎる。宇宙人アイドルわかんない。三浦くん観に行ったけど、ホストみたいなスーツ着ててかわいかった。
・黒バス
もっくんがクズすぎる役で素敵でした。愛。

7 月
テニミュ 立海公演
途中、立海の女になるかと思った。赤也ちゃんかわいすぎるので、ルビーイズレッドというわけで赤い口紅多用しまくった。
初日に初めて座席当選を当てて感動しました。いやファンとしてほんっと申し訳ないけど一瞬いくらで売れるのか調べてしまい、万券複数枚だったのでおののいた。代替通貨なんだね…。でもそんな錬金術すると運気が落ちそうなので手元に置いてます…。
・うみのこどもたち
子ども向けの芝居。パントマイムのみで台詞なしなんだけど、ジェンダー観合わなかった。演者さんはすばらしかったし、子どもに戦争を伝えようとするその試みは評価したい。
・アザーデザートシティー
中嶋しゅうさんが亡くなられてチケットを取り直した。途中までおもしろかったのに両親と和解してつまんなくなるからびっくりした。寺島しのぶ美しすぎる。


8月
デジモン
人形劇で動くデジモンたち、かわいかった。冷房が寒すぎて後半の物語がまったく思い出せない…。気がついたらなんかでっかいやつに超進化してて、音響がやかましかった。
・幽劇
今年のワースト3位。雑、すべてが雑。感動させること見え見えのちょーテンプレストーリーをいくつも寄せ集めてぐちゃぐちゃにした、顔しか見るとこのない芝居だった。けど隣の人とかすごい泣いてたので、わたしの心が汚れきってるだけかもしれない。エグザイルのひと?が出てたので、ハイロー的なことを舞台でもやろうとしたっぽい。イケメンはたくさん出てた。
・ビューティフル
平原綾香さんで。ソニンちゃんと中川晃教さん大好きすぎる。平原綾香も歌がすごーくよかった。出頭からいきなり噛む人がいて誰だよと思ってたら、武田真治だった。がんばれ。
帝一の國ライブ
青年館の二階後方が見づらいことを知った。客降りが二階にも来て、三津谷さんがにゃんにゃんしてるのを近くで見てしまった。ぶりっ子!かわいい!
・ビリーエリオット
山城力くん。おばあちゃんの歌が好きすぎて、終わった後iPhoneに海外版の公演CD入れた。元気ないとき聞いている。友人マイケルがビリーにキスするところでの客席の笑いにブチギレてたらTwitterで友達ができたので、言っといてよかったです。

9月
テニミュ立海凱旋
すまんごめんソーリー!立海がとてもかわいかったわあ
デスノート
浦井健治で。父とリュークがキャスト変更してたけど、特に父は歌詞が聞きとりやすくなってて正直ありがたかった。浦井健治はなんかもうこういう役やらせたら天下一品だよね。出待ちの列がすごくて、そりゃああれ見せられたら、しかたないよね。その役ををどう生きてくれるのかわからないあの底なしな感じ、好きになっちゃうよなあって思いました。
・少女歌劇レヴュースタアライト
アイアで男の方が多い現場を初めて見て興奮した。ウテナセーラームーンを足して2で割った宝塚歌劇団みたいな感じだった。富田麻帆さんの殺陣がとてもよかったのでぜひ他の現場でも見たいです!
・ミュージカル美少女戦士セーラームーン
まもちゃんが早い段階で死んでくれたのでマンスプレイニングを聞かずに済んで正直助かった。敵役およびスターナイツのひとたちのお衣装のかわいさにひとり大興奮した。wowow でやるらしいから絶対録画して周りに観て欲しいと騒ぎ回ろうと思っている。
・ビリーエリオット
前田晴翔くんで。主人公たちは訛ってる英語を喋ってるので日本版は博多弁?になってるんですけど、サッチャー言いつつ博多弁ってわかるんだけどわかんない感あった。ビリー役のそれぞれがとても魅力的でできることなら他キャストでも観てみたかった。金銭的に無理でしたが。
・サーカス
可もなく不可もなく。初日に行って、カーテンコール?ミスって一曲ダメになったっぽいのにやり直してくれなかったのを地味に恨んでます。続編もあるかも的終わりだったけどもう行かないかなあ。
・アンネの日
生理用ナプキンの開発の話。好きなところと嫌いなところがあって、難しい。フェミニズムものに対してだけ評価基準があがっちゃってるのかもしれないけど、男性差別もある、なんて男に目配せするのは嫌だというのははっきりあります。

10月
・海の凹凸
今年のワースト2位。水俣病の話ししてたのに最後運動で出会った互いに配偶者と子がある男女が駆け落ちして幕が下りたので、ひっくりかえった。運動には熱心なのに家庭を顧みないとかなんか左翼男あるあるとしては、いいのかもしんないけど、水俣病ではない。石牟礼道子と思われる登場人物もいたけど、ここまでくると失礼すぎて、怒られないか勝手に心配になった。
・レディ・ベス
歴史認識も雑な小池修一郎に再度キレるやつ。エリザベス女王だけが善人のように描かれるのはどーかと思う。フェリペもひでえ。とか言いつつも古川雄大の半脱ぎをめっちゃ観てた。ロミジュリでもそうだったけど同衾してる男女をベットごとガラガラガラーって持ってくる演出をヤメロー!
・ハイステ
赤葦くんかわいすぎて後半定点観察になってたのでDVDを観ねばならない。月島くんこと小坂くんがすごいよくなってて、なんかもうこうやって化けたり、役にハマったりすることがあるから舞台って楽しいよなーって改めて思った。
fgo
物語どうこうってか、エルサレムアーサー王が人民の選別をして虐殺するって物語をゲームでやり、さらに舞台でやろうっていう神経が信じられなかった。どー考えても輸出できるアレではない。れおくん観に行ったんだけど、なんか突然死んでしまってショックだった。オジマンディアスって名前をやっと覚えたのに。
・ペダステ
公演規模があからさまに小さくなってて地味にショックだったんだけど、鯨ちゃんの手嶋純太がもうすんごくよかったので途中からそんなどうでもいい心配も吹っ飛んだ。蒼木陣くんもよかったし。キャスト変更やらでなかなか難しいけれど、醍醐くんも断然前公演よりよくなってたし、続けていってほしいなあ。というわけで次回公演も楽しみです。
・オーランドー
多部ちゃんむちゃかわ。ウルフの小説を元にした物語で、時代も性別も横断していくおもしろい物語だった。舞台装置がすてきだった。
パレスチナイヤーゼロ
今年ベスト3位。岡真理さんの解説付きで観られたこともあって、パレスチナで行われてるナクバ(大破壊)、そしてその一面としての家屋破壊のことが真に感じられた。解説という補助線があったからこそ、より直面したし、なによりその後もパレスチナのことなど本を読んだりして、考えねばという姿勢になった。ほんとに、とてもよかった。
・リトラル
リーディング公演。ギリギリ着でパンフ読んでなかったので、途中までしかやらないのを知らなくて、終わった瞬間あまりに途中すぎてどうしようかと無駄にびっくりしてしまった。来年の本公演が楽しみ。すでにリーディング?っていうような、あらゆるところから出てくる台本を読んでいく公演だった。
名誉男性鈴子
ジジイにかつぎあげられて差別的になっていく地方議員の話。噛みすぎだった。でも田嶋陽子トークショーがよかったので泣いたし、握手して写真撮ってもらったのでそれは楽しかった。
・笑った分だけ怖くなる
子猫の鍋怖すぎるんですけど…。筒井康隆なに考えてんだあのオヤジっておもった。
・チムライ六角
客席が赤かった…。さとうゆーごくんとハイタッチしたことを喜んでたけどよく考えたらそのあと全員とハイタッチできたんでした。やっぱりダビデのメイクが好きすぎる。

11月
・レディ・ベス
チケットが捌けなくて結局3回みた。親は満足してたのでよかったけど、まあ話はひどいよなってことで合意した。
・ダディロングレッグス
坂本真綾かわいすぎるでしょ…声がとにかくかわいい。わたしが好きなとこ入ってなかったりしたけど、ユーモアや聡明さで困難を乗り越え、チャンスを手に入れる女の子の話が大好きなので、満足でした。女に選挙権もないこの時代なのでまだまだだけど、フェミっぽい発言もあったよ。DVD買って布教しようとおもっている。
ロッキーホラーショー
めちゃ!めちゃ!楽しかったー!!!!!ブルーシアターのクソ音響のせいか、歌詞は一切聞き取れなかった笑 ソニンちゃんがとにかくかわいくて、あの衣装が似合うって凄すぎるし歌も踊りもハイパーキュート。上木彩矢ちゃんのメイクと衣装も愛しかなかった。ダンサーさんたちもめちゃ魅力的。もういっかい行きたかったなー。見てる間gleeでもやってたことを思い出して、終わったあとgleeロッキーホラーショー編のとこを何度も聞いてる。
・すべての4月のために
ベストには入らなかったけど佳作。森田剛より麻実れいでは?説はあるけれども、終戦間際の日本統治時代の朝鮮半島の話。みんなくっついちゃうのかよってのはあったけれども、端々に滲む不穏な空気はよかったので。臼田あさ美ちゃんが走り去っていくところがすごいどんくさくて、親近感が湧いた。
・この熱き私の激情
詩的すぎて、ちょっとわかんなかった。舞台装置はすばらしく、それぞれの女優の演技はその瞬間瞬間が写真かよってレベルで完成されてた。終わったあと作者の人生を描いた映画を観に行って、多分本国では名も知られてて、作者自身の背景も知られてるゆえの舞台なのかなっておもった。
・プライムたちの夜
浅丘ルリ子を見たくて。死ぬというのがすぐ境界線の隣にあって、演者ひとりひとりがそちら側へ行ってしまい、アンドロイドと入れ替わるというのが、ユーモアでもあり、悲しくもあった。小さい劇場でよかった。浅丘ルリ子がカーテンコールで「わたし歳をとらないので」的なことをちゃらっとのたまうのが大好きすぎる。教授もメイクバリバリのあのお顔がすっぴんなんでって言ってたもんね。
・チムライ 青学
お見送りで年甲斐もなくリョーマくんにかっこよかったです!って言ったら、帽子くいっとして「ありがと」ってニヤッとされたのがなんかもうなんかもうかわいさの暴力だったんだな?9代目とキャスト姿でハイタッチできるのはあれで最後だったのかもなあ。増やしたかったけどまあチケットなかったです。

12月
テニミュ比嘉
さみしくなるからゴールゴール言うのやめてくれー!ってなった。テニミュにはまり始めた頃に比嘉のDVD買ったから曲が結構濃く入ってて、今回歌詞そのままでメロディラインだけ変えてるナンバーが多いので、なんかちょっと変な感じがする。せーちゃん菊丸に泣かされて、ここで!その!演技!するんかい!!!!!ってまんまと心乱されてます。
・真剣乱舞祭(刀ミュ)
何度も消せ消せ言われて、これほどペンラをつけるタイミングのわからんライブは初めてだったけど、ファンの人はどうだったんだろう。キャラ同士の関係性やら不文律がわかんないので歓声が上がってる意味がわかんないことが結構あった。推しが今回も素敵だった。ダンスの上手いキャストと並ぶとかっくんかっくんなのでありありとわかって、一生懸命応援した。かわいい。かわいいぞ。
・メンフィス
濱田めぐみさんすばらしき。山本耕史もあんなに歌えるんだってびっくりした。でもまあ日本でやるにあたって、黒人は黒塗りメイクするのに白人は金髪のヅラをかぶってそのままってのはもうちょっと練られるべきだとやっぱり思うんだよね。ジェロ出すってのも歌上手いけどセリフ全然だったから、なんか????だったし。人種の違いをどういう身体的記号として表しうるかってのは、もうちょっと考えねばならないと思う。
・4stars
全員すばらしいんだけど、やっぱりシンシア・エリヴォにもうなにもかも、心まで全て持っていかれた感。城田優も知ってたけどわかってたけど、改めて見るとイケメンすぎておののいた。カラーパープル日本で見たいけどまあ無理だろうなあ。来年エビータ、コーラスライン、rentと来日が夏に立て続くようなので貯金するぞ!(無理)
・紛争地域から生まれた演劇
二つ見て3000円ってコスパよすぎた。朝のライラックのほうが好みで、これもトークショーがおもしろかった。客席に岡真理さんが座って質問もなさって、それがまた解説のような役割もあって、とにかくその場に同席できてよかった。夏に見たパレスチナイヤーゼロにも渡辺真帆さんの翻訳で、そして質疑応答も大変わかりやすかったので、お名前覚えて追いかけようとおもう。
ドッグファイト
宮澤エマちゃんがとにかくすごい。すごいかわいいのにスカート丈や髪型、メイクで芋くさく見えるのが不思議で、そして演技も上手かった。ハマリ役。ドッグファイトっていうブスな女の子を連れてきたやつが勝ちっていうゲームの話だったけど、女の子を傷つけるのを悪ふざけとして割り切れなくて、例え反省してたとしても胸がつぶれそうだった。そういう意味ではリアルだったのかも。

ジェンダー観があわない!みたいなことが多かったなあ。安心して観られるのは輸入舞台ってことが多かったかもしれない。来年は来日公演が多いから今から楽しみ。
来年のチケットも既に持ってるからまだまだ死ねない。頑張って生きるぞ!

さよなら2016年

年末になった。わたしは年が新しくなるたびに、今年は何を読んだのか、何を観たのか、記録をつけようと本当に心を改めようと決意する。しかし、なにしろ性分がダメなもので今年一年で何を読んだのかなんて、結局記録されてない。記憶にも残ってない。無精な自分に倒れそうになる年末がまたやってきてしまった。



それでも、今年は記憶喪失なわたしですら強烈に覚えているくらい、読者として、ものすごく幸せなことばかりだった。大好きな作家と会って、自分があなたの作品を好きだということ、愛してやまないということを、目の前で告白することができた。
イーユン・リーにだって会える2016年、ほんとにすばらしくない?サインをお願いして、写真を撮ってもらった。なんという未来。生きてるって素晴らしい。
津村記久子さんにはおいしいうどん屋教えてもらったし。



それでも、今年いちばん衝撃だったのはやっぱり雨宮まみさんのことなのだった。
ずっと心のなかでゆらゆらとしていて、動いては感情が揺さぶられての繰り返しなんだけど、わたしが雨宮まみさんとすれ違ったその一瞬についてを書いてみる。
書かずにいようか、迷ったけど、書いてみる。



2014年夏、友だちが雨宮まみさんの名前を出した。彼女が通っている上野千鶴子さんの社会人ゼミに雨宮まみさんを呼びたいというのだった。ちょうど、「女子をこじらせて」が文庫化されたばかりで、上野千鶴子さんが文庫版の解説を書いたご縁で、雨宮まみさんをお呼びして、読書会をしてはどうかという話になったという。友だちはコーディネータをやるから、わたしに書評をやらないかと誘ってくれた。作家の目の前で、しかも雨宮まみさんの前で自分の書評を発表するなんて、とても勇気が出ず、すぐには決められなくて、返事ができなかった。でも、むちゃくちゃおもしろそうだってその確信だけはたしかにあった。友だちとはその頃、国会前で毎日のように一緒にデモに参加してて、わたしたちはシュプレヒコールを聞きながら、どうしよう、どうしようときゃあきゃあと相談をしあった。絶望しちゃうような夏だったけど、あの時間はすごく楽しかった。わたしはその話を受けてみることにした。
そして、10月。上野ゼミの日。もうひとり書評を担当する友人も交え、わたしたちは雨宮まみさんを駅に迎えに行った。緊張で吐きそうだった。三鷹駅の改札の向こうから現れた雨宮まみさんは、岸政彦さんがどこかで書かれてたみたいに、ほんとにまさに「東京が歩いて来た」感じだった(この言い回し、だいすき)。一緒に歩くのも、何を話したらいいのかわからないくらいどきどきした。こんなにおしゃれで素敵なひとが、この世に実在するんだ!!!!わたしたちはものすごくおろおろしながら、ごくごく簡単な打ち合わせをした。なにしろ、そんな打ち合わせをそんなことしたことなかったから、なんかよっぽどひどいものだったのではと未だにおそろしく思い出すけれど、雨宮まみさんはにこにこと対応してくださって、あまつさえ持参してくださった「自信のない部屋へようこそ」にサインを入れてくれた。そのとき、わたしはペンネームでゼミに参加していて、雨宮まみさんが書いてくれたわたしの名前はペンネームだった。新しい自分が生まれた感じ、しかも自分で生んだ感じ、すっごくわくわくした。
その散乱した打ち合わせのとき、たまたま机に置いてあった文藝秋号の話になった。村田沙耶香さんの「消滅世界」、松田青子さんの「男性ならではの感性」が一緒に載ってるフェミ号(勝手に認定)で、駅にお迎えに行く前に友人たちにこれはおすすめだと布教するためだった。雨宮まみさんが「見てもいいですか?」と聞いて、ぱらぱらとめくっていたのをよく覚えている。
書評セッションはもう、言うまでもなく最高だった。それはもう、楽しかった。筆舌に尽くしがたいとはこのこと。「女子をこじらせて」をはじめの一歩に自分のことを語りはじめてしまったわたしたちの生きづらさにも、雨宮まみさんは真剣に耳を傾けてくれた。北欧ミステリをお勧めしてくれて、アーナルデュル・インダリソンの「湿地」がよかったとおっしゃっていた。懇親会では写真を撮ってもらった。家宝だ。未だに夜な夜な眺めてしまう。




そうそう、先ほど出した文藝秋号の件も、実は重要なので、書いておく。
一昨年の秋口に文藝秋号で発表された村田沙耶香さんの「消滅世界」、Twitterで岩川ありささんのツイートを拝見し、おもしろそーとすぐに書店に駆け込んだ。もう夢中になって読んで、読み終わってからはもう、すっごく興奮して、周囲に布教しまくった。セックスと生殖と結婚か分離した世界に嫉妬したし、同時にわたしが生きるこの現実はなんてディストピアなんだろうって絶望した。
単行本が出る直前に河出書房新社からメルマガが来た。ゲラを読者に事前に渡しての読書会を開催するという大ニュースだった。友だちにも速攻LINEで共有した。しかし結局、ふたりで応募したら、応募者多数で抽選になってわたしが落ちたのだった…くじ運がない(笑)
感想文を読書会前に事前にメールすることになったと聞き、図々しいわたしは友だちに一緒にレビューを送ってもらったのだった。
それが以下。



『単行本になった消滅世界を想像する。装丁はどんなだろう。スピンは何色だろう。そして、帯にはどんな言葉が書かれるんだろう。SFはわかるとして、ディストピアと書かれるのだろうか。少なくともわたしにとっては、現実の今の世界よりよほどユートピアに思えるのだけれど。
わたしにとって、現在のこの日本という社会はとってもディストピアだ。まずもって、一定年齢になると異性と交際していなければ真っ当な人間とはみなされない。しかも年齢があがるごとに、交際だけではなくその異性と社会的な契約を結ぶ(婚姻する)、子どもを持つという風に課されるハードルはどんどんあがり、「嫁き遅れ」てしまった女たちは自己反省の呪いをかけられる。仕事をしてみても、健常者男性に合わせた労働生活を送らねばらなず、一般職や契約社員という身分制度が横たわる。あまつさえ、30分早く来てポットにお湯を入れろなどと2015年現在に至るまで、若い女というだけで、そういうことを言われる。子どもを持っても、男並みに働かなければ預けるところもなく、預けた子どもが熱を出せば予定の変更を強いられるのは大抵女だ。これをディストピアと言わずして、なんというのか。多くの女にとってもそうで、少子化というのはある意味女の人たちの静かなる社会への反乱の意思表示なのではないかとも思ってしまう。
この小説に描かれている、生殖とセックスと婚姻がそれぞれ独立しているそれは、おそらく多くの女性が期待するものなのではないかと思う。好きな人とする結婚などというものは、わたしとの間にあまりに谷底が深すぎる。そんなものの暗闇を覗いていたら、心が狂って、自分を尊重できなくなってしまう。それくらい、強いられていると感じている。だからこそ、わたしは描かれたこの世界をディストピアと呼べるのか、わからなくなってしまった。子どもや欲望を管理すると言う点では確かにそうなのかもしれない。でも、文化として、社会として個人に強いられているものの重さを点検していくと、むしろわたしが期待するものはこれなのではないかとやっぱり思ってしまう。男の人が出産するという、BLにはよくありがちな、ところも含めて。
特に好きだったのは、マンガやアニメの好きだったキャラクターたちのことを祈るようにつぶやくところだ。子供染みたことかもしれないけれど、3次元の男の子(あるいは2.5次元の男の子)たちは私たちを傷つけない。いつでも完璧に王子様でいてくれる存在を期待してしまうこと、そしてそれを標として生きていくこと。その切なる、誰にも邪魔されたくない、でも誰かにその情熱を布教したい欲望がとってもよくわかりすぎて、泣けてきてしまった。「いい年して、そんなものに夢中になるなんて。」「わたしは友だちとして止めたんだよ。」なんて言い方をされると、わたしの欲望はそんなにも間違ったものなのかと、恥ずかしい気持ちにもさせられる。なぜだろう。よく知りもしない誰かを外見だけで好きになるよりも、わたしたちはこんなにも彼らのことをよく知っているし(身長や体重や好きな食べ物や、家族構成に至るまで記載されているものは全て覚えているのはオタクの基本)、誕生日になれば一緒にお祝いをするし、日々の日常を想像し、幸せを祈っているのに、それは向けられる先によって、気味の悪いものになる。なんでだろう。どうしてだろう。「真っ当」な趣味ではない、「真っ当」な恋心ではない気持ちを抱いているわたしは、常に言い訳や葛藤を強いられている。
わたしたちは消滅しうる世界に生きている。そして、消滅してしまってもいいのではないかとすら、わたしは思っている。わたし自身が婚姻も、生殖も今のところ選ぶことができない。静かに活力をうしなっていくこのディストピアで、すこしでも善く生きることだけを意識して、苦しみながらサバイブしていく。』
友だちは約束通り、感想文を一緒に送ってくれた。






そして、年が明けて2015年。1/21。
雨宮まみさんと村田沙耶香さんが「消滅世界」の新刊刊行記念でイベントをやることになった。
一読者として、なんの奇跡が起こったかと思った。その前の年に一番推してた作品と、たまたまその話をしていた憧れの存在・雨宮まみさんとが交わるなんて。いや、なにもかも偶然だ。でも、それでもよかった。だってそんなん奇跡じゃん。あの時、上野ゼミに一緒に参加した友人たちと「ヤバイ」を連発し、語彙を失いながら、気合を入れて、駆けつけた。
トークショーはとても楽しかった。雨宮まみさんが聞き手のインタビューは、今まで村田沙耶香さんの話を聞いた中でもいちばん楽しかった。
感激だったのは、トークショーの中で村田沙耶香さんが、ゲラ読みの読書会の話をし、印象的だったとあげた読者の感想が、わたしの感想だったことだった。いやあ、もう泣くしかなかった。泣くしかないでしょう。読者として、わたしは透明だし、ほんとに非力だとおもうけど、作り手の方の心に残ることもあるんだと、しかも大好きな作家さんに覚えていていただけることがあるんだと、信じられなかった。信仰心がますます深まった(こわい)。
サイン会はもう、村田沙耶香さんを前に騒ぎ、号泣する不審者だった。参加された方は何事かと思っていただろう。わたしの感想だったと伝えて、お礼を言って、何を言ったのか、覚えていない。好きなひとを前にすると記憶がなくなる。
引くほど泣きじゃくるわたしに、雨宮まみさんはティッシュを貸してくれた。真っ赤なティッシュケースでお花の刺繍が入っていた。素直に借りておきながら、動揺しまくっていたわたしは、ティッシュの中身が入ってなかったことを雨宮まみさんに報告し、わざわざ新しいのを開けてもらったのだった。



長くなったけど、これが、すれ違った一瞬のこと。それでもわたしにとっては、僥倖としか、言いようがなく。



それが雨宮まみさんに会った最後だった。
ファンとして、なんとしあわせな時間だっただろう。ティッシュ借りたのが最後だったなんて、間抜けだけど。
わたしはずっと雨宮まみさんみたいになりたかった。ううん、今もなりたい。そうTwitterに書いたら、「なれますよ」って直接お返事をくださったこともあった。ほんとかな。でも、同時に思ってて、わたしはこれから、何に憧れて、何を目指せばいいんですかってことで、それは今も見つかっていないんです。喪失感を埋めようがないんです。ただのファンなのに馬鹿みたいでしょう。
ファンとして、わたしはものすごくしあわせでした。個人的なおつきあいはなくとも、おっかけとして大変充実してました。そして、ものすごくエンパワメントされて、雨宮まみさんみたいになりたいって気持ちで、おしゃれをしたい!自分を好きになりたい!って本気で考えた日々でした。そのおかげで、とても、とてつもなく楽しかった。
ほんとにほんとにありがとうございました。この気持ちをまたどっかまでおっかけて、告白するみたいにご本人に伝えたかったなあ。



雨宮まみさんに憧れて買った真っ赤な口紅を差して、2016年最後の今日を見送ろうと思います。

ごはんのタネ

タイムラインをながめてたら、こんなツイートを見た。


看護学校戴帽式を見たことに関して。
「式自体はカトリックの堅身式のようなもので、形だけじゃないかと批判もあり、近年実施しない教育機関が多いと聞く。
もちろんそれも一理あるのだが、神や人に仕えるというのは大変な覚悟のいることであって、その覚悟に形を与える場があってもいいと個人的には思う。」



このことについて、ずっと考えている。
ひとまず、神に仕えるというそれについては、わたしは何も言うことができない。信ずる宗教は生きていくには必要で、もしそのひとが望むなら、わたしは何も言わないし、言う権利もない。
でも、その次は違う。「人に仕えるのは大変な覚悟のいることであって」、というのはとてもとても、とても、もやもやする。

わたしは医療職じゃないけれど、福祉分野で新卒から働いてきた。仕事はなんですか?と聞かれて、福祉分野で働いていますというと、たいていの場合、「えらいね」「すごいね」って切り離されて、みんなからちょっとずつ遠ざけられてきた。(ようにいつも感じてきた。)

この職業を選んだのは何故だっただろう。たぶんいくつもの理由が重なっていて、わたしにもよくわからない。でも、はっきりと言えるのは、「わたし自身が矜持を持ってこの職業を選び」、「わたし自身のために仕事をしている」ということだとおもう。
人に仕える、人のために尽くす、人の役に立ちたい、というのはわたしのなかにもある感情だ。この職業を選んだ理由のなかでゼロとは言い切れないだろう。この人に幸せになってもらいたいと、目の前のひとに出来る限りのことを、いつも考えているつもりだ。でも、それを原資にして走り続けてはいけないということを、学問として、わたしはずっと学んできたのだと信じている。人のためにというお題目は自分が正しいと思い込んでしまいやすい魔法で、そのために何かを踏んでも気がつかなくなるし、対価として人の感謝や尊敬を欲してしまう。だから、わたしたちは自分の原資を、走り続けるガソリンを、別のところから供給したほうがいいと個人的にはおもっている。もちろん、ひとのために仕事をすることが悪いことだとは思っていない。ただ、相手にのめり込み、自分を相手に移しこんでしまうことは、わたしたちを壊し得る一因になりうる。外部の人間として、その人自身ではない他人として、相手にできるだけ考えて考えて決断してもらい、決断したことを尊重しながら、できるかぎり手伝えるように、他のひとに手伝ってもらえるように、せねばならないと思っている。

それは他の人から見たら、「ひとに仕える」ことなのかもしれない。でもね、それは最早わたしたちを拒絶している言い方に等しいのだと、わかってほしい。たしかに、ひとのために働いている。でもそこに何か、わたしたちを遠ざける、切り離されるような感覚と、矜持を「優しさ」なんて曖昧なものに丸め込む乱暴さを感じて、わたしはやっぱり黙っていられない。人に仕えてるんじゃなく、自分のためにやっていることです。自分の任務のために、矜持のために働いている、またはお金のためにやっていることなんです。
いやほんと自分で言っといてほんとそうだけど、だいたい、働いていかねばならない一番の要因はお金だ。たぶん、他の仕事してる多くの人と、そう変わらない。よくある職業のひとつとして、ご飯を食べていく手段として、働いている。なのに、わたしたちにばっかり覚悟を問うのはなぜなのか、考えてみてほしい。
お金だっていいはずでしょう?ほんとは、お金のためにその職業を選ぶことはいつだって何も言われないのに、わたしたちだけが身の潔白を問われるのは何故なんだろう。
戴帽式だって無くなったのはお金のこともあるだろう。衛生的に好ましくないとして、ナースキャップは死んだのに、儀式のために購入を強いられるなんて、まるで本末転倒ですよ。


なんだろう、なんだかうまく言えている自信がないけど、言いたいのは「自分のために仕事してるんであって仕えてねーよ!そんでもって飯のタネで、ただの仕事だよ!ハードル上げんじゃねーよ!」ってことです。


わたしたちを、ただの労働者にしてください。大変なお仕事をしている、えらい人間に祭り上げないでください。











ケアワーカーが働いてる時に言われる「えらい」への気持ちがすんごいよく表されてて、雁須磨子せんせいへの憧憬が深まる短編が含まれた一冊




体の贈り物 (新潮文庫)

体の贈り物 (新潮文庫)

わたしのバイブル。

[レビュー]かわいい結婚

かわいい結婚

かわいい結婚

物語にはうわあああこれですよあるある!!!!と叫び出したくなるような圧倒的な共感のためにあるものと、想像力の果てを探索するみたいにこの世界に穴を開けるものがあると思っている。そう分類すると、この物語は前者だ。なんでこのひとはわたしたちの考えてることがわかるんだっていうあれです。エスパーです。今の「女子」たちが抱える、苛立ちや諦め、そしてうれしさや希望が、ない交ぜになった、どうしようもない感覚が圧倒的に、鮮明に繊細に描かれている。
前々から刹那的な、だからこそほんとに閃光のごとくこの瞬間にものすごい力で輝く物語を書かれる方だと思ってきたけれど、これもまさにそう。書いてあるブランドや感覚が古くなったっていい。今この瞬間に最大瞬間風速でわたしの中を通り抜けたのだから、それでなんかもうほんとにいい!!!!!!だいじょぶです!!!!!!って勝手に思えるような感じ。

かわいい結婚は圧倒的に家事に向いていないのに専業主婦になった地方在住女子を、悪夢じゃなかった?はある日突然体が女子になってしまったアラサー男子を、そしてはお嬢さんたち気をつけては、女子大を卒業してシンメトリーではいられなくなったふたりの女の子を描いている。どれもフェミニズムの芯が通ってる、とわたしは勝手に思った。
なんで実際の向き不向きじゃなくって、性別によってこっちの仕事が得意って思われてるんだろう。「女子」だからってなんで些細な振る舞いをいちいちジャッジされるんだろう。「女子」を維持するのにどれだけのコストと手間がかかるんだろう。選択肢がたくさんあるように見えて、なんで益々首がしまってるように感じるんだろう。

どの作品にも女子同士の関係が描かれる。惨めで妬みに絡み取られるときもある。いつでも仲良しでいられるわけじゃない。ふっと会わなくなったり、関係が再びうまくいくのに何年もかかったりするかもしれない。
でもそれでも、女の敵は女とか、マジ嘘です。いろいろな分断がわたしたちを待っているだろう。総合職一般職、未婚既婚、子持ち子無し、美人不美人。それでもいい。立っている領分が違ったって、かわいいとおいしいと悪口の潤滑油で今日もわたしたちは走り回れるはずだ。あなたの幸せを祈って、次の再会の日を待ち望めるはずなのだ。

「またね!」

【レビュー】百合子、ダスヴィダーニャ

女の子の友達が好きだ。
性愛的な気持ちではないように自分では理解しているけれど、他人と比べた時に異常な執着なのではないかと自分でそらおそろしくなる時がある。
それは、例えば彼氏が出来たと言われた時や結婚すると言われた時に、ぐわーっと襲い掛かってくる。結局のところ、わたしと友達との関係とは、約束事のない関係性で、そして結局婚姻制度に勝るようなものではないのだと思い知らされる。ある意味憎んでいるとすら言えるような男の子(ただその性別というだけなのでとてつもないヘイトです、すみません)に友達が取られてしまうという寂しさと、執着が混じり合った気持ちが処理できない。

この作品をを見た時、自分の中のそういう気持ちの影を二人の中にふっとみたように思う。
もちろん、湯浅芳子は男性が女性を愛するように百合子を愛しているというのだから、その気持ちには性愛が含まれているのだと思う。でも、叶わない執着というか、気持ちの濃淡の先にあるものは同じように感じた。

百合子、ダスヴィダーニヤ

2011年/日本/102分/監督:浜野佐知/出演:一十三十一菜葉菜吉行和子洞口依子大杉漣
原作:沢部ひとみ「百合子、ダスヴィダーニヤ 湯浅芳子の青春」、宮本百合子「伸子」「二つの庭」
製作・配給:旦々舎
まだレズビアンという言葉もない大正時代に、自らに忠実に生きた実在する女性二人の魂と愛の物語。
雑誌編集者の湯浅芳子は「女を愛する女」であることを隠さず生きている。一方、天才少女作家としてデビューし早くに結婚した百合子は夫との生活に行き詰まりを感じていた。そんな二人は出会って直ぐに惹かれ合う。見捨てられる夫を演じる大杉漣も必見。
湯浅芳子ロシア文学者、百合子は後に日本共産党を率いた宮本顕治と再婚した宮本百合子

百合子は好きなものと嫌いなものがはっきりしている。そして、境界を乗り越えて好きなものが嫌いなものに塗り替えられてしまったとき、再びそれを同じものとして愛すことができない、頑固さを持ち合わせている。
そういうひとに選ばれるのってすごく気持ちいいのだと思う。
才能のある魅力あるひとが他の選択肢を捨てて、自分を優先順位のいちばんにしてくれたこと。
それは存在を認められるということであったし、才能を認められるということでもあったのだろう。

わたしも選ばれたいと思ってしまう時がある。その子に主体的に選ばれることでもいいし、たまたまその時に一瞬神様に選ばれることでもいい。今日返信の手紙を書こうと思っていたら、向こうから手紙が来たとか、たまたま同じ日に冷え取り情報をキャッチして冷え取り靴下を同じタイミングで始めていたとか、同じドラマを見ているとか、わたしが読んでいた本をおもしろいと言ってくれたとか、そういう運命だ!と言いたくなってしまう瞬間が、ほしい。
明日また会おうねと言いながら、別れてしまうかもしれない。でも運命の瞬間が降り積もっているのであれば、思い出をきれいに均しながら生きていける気もする(たぶん強欲なので気のせい)。

芳子と百合子の関係を自分の元に引き寄せて語るなんて、ましてやこの時代にそういった関係を選んだふたりのことを現代の自分に当てはめるなんてどうかと思うけれど、それでも誰しも気持ちの濃淡の先にはそうした思いがあるのではないだろうか。友愛にも性愛にも区切られないまだら模様の混じり合った気持ち。執着と恋心と区別のつかなくなる、腹心の友。

ふたりの関係の破綻を予感させる、幸せな終わりが好きだった。だって、そうやって終わってしまうときがいつかはやって来るんだから、見ないふりをするよりはずっといい。

百合子にとってはもしかしたら気持ちの振れ幅のその時本気で選んだ選択肢の一つに過ぎないかもしれない。それでも、芳子にとっては永遠だった。その気持ちがなんだか一瞬でもわかるような気がした、映画だった。

「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」 (栗木京子)

個人的などうしようもない体験

先日、TwitterでRTされてきたブログ記事を見てびっくりした。わたしのブログ記事だった。しかも、それは3年も前の記事で私自身も久しぶりに読み返した。他人の文章みたいに感じた。
インターネットという空間に言葉を浮遊させておくことで、もちろん悪いこともあるんだろうけど、必要なひとが探し出してくれて、こんな風にボトルメールみたいにかえってくることがあるんだなとおもったら、自分の気持ちやらについてきちんと記録しておくべきだと思い立った。
前置きが長くなりましたが、わたしの受けたパワハラについて書こうとおもいます。

わたしは新卒で、ある職場の正社員になった。あんまり安定してるとはいえない職場で、公務員試験の内定をもらってたのに蹴ったことで、正直言って親にも大反対されたし、祖母にはなんと泣かれたりもした。今まで自分にかけられてきた学費やら、なんやらに思いを馳せると親の言うことに従うべきだったんだろうけれど、それでもその仕事に就きたいっていう自分なりの思いがあった。何度もぶつかりながら、結局親が折れてわたしはそこに就職することになった。わたしを含めて、5人しかいない職場だった。
どきどきしながら行った4月1日。一日オリエンテーリング的なことをしてもらう予定だと朝聞かされたけれど、いちばんえらいひとがやってきて、「そんなことはしない」と言い出した。そして、わたしに新卒としては到底できるわけがない仕事をふたつ示して、どちらか選べと言った。わたしは言っている意味がわからなくて、そんなのどちらもできないと答えた。でも、彼はどちらかしかないと頑なに主張した。しかたなく、ふたつのうちでできそうな仕事を選んだけれど、その仕事は外回りだった。いま考えても新人にやらせる仕事じゃないし、新人じゃなくても引き継ぎもなくやる仕事じゃなかった。
しかたなく、わたしは実際にその外回りに行った。心細く待合室で待たされているときに、そこの職場のひとらの「新卒の子がひとりで来てるらしい」「なんだってそんなのをよこしたのか、意味がわからない」みたいな噂話を聞いたときは、ほんとうに死にたくなった。そんなの言われなくても知ってたし、いちばん意味がわからなかったのはわたしだったから。
言い訳をするわけではないけれど、もちろんわたしはその業務命令に反論した。けど、無駄だった。命令だ、とえらいひとはくりかえした。俺は上官だ、ってバカみたいに軍隊のようなことを繰り返していた。
反論するのにわたしは社会人としてはどうかとおもうが、泣いてしまったわけだけど、えらいひとはそのことを自分のFacebookに書き込んだ。いま考えると、すごいことするやつがいたもんだね。新人を泣かした、みたいな書き込みだったとのことで、あろうことか、いいね!をいくつか、もらってたらしい。

そんな初日からはじまった仕事は当然毎日すこしずつわたしをすり減らした。ろくに引き継ぎもなされないまま、そこでアルバイトしていた経験があるからなんとかなるだろうとできない仕事をまわされる。外部で、頼まれたこと・期待された役割を果たせないことを露呈させてしまって、恥ずかしい思いをすることが何度もあった。

5月だった。前の担当者が拗らせた案件をわたしが処理しろと、またも業務命令された。状況も相当拗れて、かつ逼迫しており、入ったばかりで事情もわからないわたしが担当となるよりは、前任者に任せた方がよいと言ったけれど、行け、だのいいからやれ、だの言われて反論してるうちに、結局大きな声での言い合いになった。上官だ、といつもの文句を繰り返すえらいひとに、わたしは「あなたのために働いているわけじゃない」と感情を爆発させてしまった。向こうもひどく怒鳴った。俺の命令を聞け、聞けないなら辞めろ、そんなやつはいらない、とかそんな感じだった。よく覚えてない。
とりあえず覚えてるのは、いちばんえらいひとの次にえらいひとが、家に帰ったわたしにわざわざ電話をかけて、わたしだけが悪いみたいな注意をえらく長い時間、してきたことだ。その案件に関しては引き続き自分が担当する、わたしがえらいひとに対し怒鳴ったことは感情コントロールができていなくって社会人として失格なのだから反省すべきだ、えらい人に歯向かった人間としてみんなの記憶には残ったのだから矛を収めろ、的な。
アルバイトのときはすごく信頼してたひとは結局えらいひとの味方だった。言われた言葉は、わたしを粉々にした。

6月くらいの会議。
入って3ヶ月も経つのにこんなに仕事ができてないなんて論外だ、いままで入った人間のなかでこんなこともできなかったやつはいない、給料を払う意味がない、みたいなことをえらい人にみんなの前で滔々と言われた。なんかほんと、血が凍ったかとおもった。あくまで冷静に、「わたしを採用したということは新卒の仕事のできない人間をいちから教育をするという義務を当然ながら負っていることと認識していたのでは」と伝えたが、ここでアルバイトしていたのだから当然仕事ができるとの認識だった、ここまで使えないとは思わなかったと終始言われた。なによりショックだったのはわたしがそういうつらく、硬くなっているときに誰も矢面に立って助けてくれるひとがいないということだった。
ちなみにわたしはつらかったけど用意周到だったので、その会議は録音してある。でも結局、呪いみたいにデータは消せずにいる。今でも、わたしは呪われている。

その他にもエピソードはあったけど、そんな職場をはっきり辞めようとおもったのは、単純なことだった。
ある暑い夏の日、男女兼用のトイレを汗だくで掃除してたとき、えらいひとがやってきて自分のお茶を飲んだコップを流しに置いて行ってしまった。たった、それだけのことだった。
でもわたしは耐えられなかった。たった5人しかいなくって、歳だってそう変わらないえらいひとは、掃除やら食器洗いやら、そういった些細な、その場所を維持する努力をまったくしなかった。そういうことを疎かにするくせに、大掃除みたいな目立つことには積極的に参加して、指示を飛ばす。でも、必要なものがわからないから、なんでも捨ててしまって、間違ってわたしの靴が捨てられたこともあった。
だから、ずっとここにいたらわたしはだめだ、ってはたと気づいた。ここでいいように使われる。そういう些細だけど大事なことを瑣末などうでもいいこととおもっている、このひとのコップなんて、洗いたくない。

仕事を続けながら、なんかカウンセリング講習みたいなもので心の平穏を保ちつつ、転職活動をした。
親には内緒のままだった。猛反対を押し切っての就職が破れたことを、どう切り出していいかわからなかった。結局意を決して言ったらなんでもないことだったけれど、今でもあの時捨てた選択肢をねちねちと詰られる。
今の仕事もサビ残多くて大概クソだし、辞めたい気持ちはあるけど、前みたいに突然涙が出るみたいな虚しさはすこし減ったようにおもう。
結局、新卒で入ったこの仕事を、わたしは10ヶ月で辞めた。

ハラスメントを受けた相手に復讐したいっていう気持ちの後ろ暗さに、自分で落ち込むことがいまだにある。社会的にあんなやつ、抹殺してやりたい。信頼されて、大きくなっている影に吐き気がする。

パワハラ、あるいはセクハラにしたって、受けたひとの選択肢はたいてい我慢して続けるか、辞めるかしかないのではないかとわたしは今回自分がパワハラを受けてみておもっだ。裁判をする、闘うってことはものすごく労力がいる。労力とはお金のことだし、精神力のことだ。そういうものをたくさん使っても報われないことだってある。だから、たいてい前述したふたつの選択肢におさまる気がする。
あるいは我慢の選択肢にしたって、相手のことを変えるなんてことは、絶対できない。たとえ相手を謝らせたって、結局そうなんだとおもう。相手が変わる瞬間は訪れるかもしれない。でもそれをわたしは待てなかったし、自分が傷つけられてまで相手を待つ道理もない。

だから、とりあえず今そういうハラスメントを受けてるひと、受けたひとがいるならば、あなたは悪くないっす!ってことを、わたしは言いたい。あなたは悪くないです、相手が悪いです。まずはそこからはじめたらいいんじゃないかと思うのである。べつに事実なんて、あなたがわざわざ検証する必要はないのです。あなたが傷ついたのであれば、それはほんとのことなのです。
でも、しかしそれをもってして相手を変えられるかって言ったら、さんざん言ってるように否だとおもいます。だから、静かに検証してください。どういうところが耐えられなくて、どういうところは耐えられないか。そのうえで考えてください。あなたはどうしたいですか?仕事を続けたいですか?辞めたいですか?
ハラスメントを受けてると、ほんとに尊重されていないという事実にすごい磨耗する。でも、それでも考えて選択してほしいです。
わたしの大好きなドラマ脚本家に木皿泉というひとがいて、Q10というドラマの中にこんな台詞が登場します。
「死ぬほど考えるの。それが後悔しないための、たった一つのやり方よ。」

完璧な明日なんて訪れないけれど、今を絶望しない、あなたが打ちのめされない明日があなたに訪れることを願ってます。わたしの個人的な体験を火にくべながら、それを祈ってます。

【レビュー】さよならを待つふたりのために

ずるい。この本はずるい。だって、さよならはいつだって悲しいじゃん。それが永遠のさよならを予期させるならば、なおさらでしょ?
それに、本を買うのに慎重なひとがもしこの本のあらすじを読んだら、連想するのは一リットル泣いちゃうやつ(ドラマのほう)とか、世界の中心で愛を叫んじゃうやつだ。病気に冒されたガールミーツ、ボーイ。連想される24時間テレビ。わたしもこの本の裏表紙を買ってから読んだとき、ああこれはまずったかもって思ってた。だって、それに題名がさよならを待つふたりのために、だよ?なんということでしょう。おもしろいって評判だから買っちゃったけど、なんで読みはじめちゃったんだって、さよならの予感にざわざわしながら、困ったなあって思ってた。
でも、途中で読み止められなかった。ヘイゼルやガスは、あるいはアイザックは、ヴァン・ホーテンはものすごく魅力的だったから。たとえば、思い浮かべるガスの造形がすっごくハンサムとか、そういうことじゃなくって(それもあるけど!)。そこにあるのは、ユーモアだったから。弱さだったから。ステレオタイプの感動的な物語のなかにいる崇高な人間たちじゃなくって、そこにいたのはわたしがともだちになりたい女の子や男の子だった。

NHKにバリバラって番組がある。この番組は「きらっといきる」という番組のスペシャル企画からはじまった。一部の側面しかとらえられてこなかった、障害者の、あるいは福祉の番組ではなく、障害者自身の番組を目指して今も試行錯誤している。扱うテーマはいろいろ。一人暮らし、就職、仕事。そして、恋愛とセックス。車椅子のひとのモテテクニックを紹介してたこともあったし、合コンを企画してるときもあった。MCのグレースちゃんはそこで知り合った男のひととたしか、今も付き合ってる。わたしがすっごくだいすきで、尊敬してるMCの玉木さんは自分のプロポーズについて聞かれて、ものすごく照れてた。年末は毎年、お笑いもやってる。時には障害だってネタになる。統合失調症高次脳機能障害。脳性まひ。障害者を笑うんじゃなくって、一緒に笑うことを目指しているんだとWikipediaには書いてあった。彼ら、彼女らも偶像のなかにおしこめられようとしている。でも、みんなそんなことねえよ、って思ってたからバリバラは変わったんだろう。
だから、読み終わった時思い浮かべたのはバリバラだった。障害者や病気を患ったひとたちが、背負わされるイメージを、ヘイゼルやオーガスタス、アイザックはユーモアで切り刻んで、飛び越えていった。時には躓いたし、傷ついていた。でも、そこにとどまらなかった。自分をかわいそうだとおもわなかった。絶望しなかった。(わたしもそうできるかな。そうなりたいと思ってる。)
生きている以上、いつか死はやってくる。普段見ないふりをして目を背けてても、約束を果たしにやってくる。しかも、すっぱりとやってくることなんて稀で、ごはんが食べられなくなったり、排泄が自分でできなくなったり、じわじわと近づいてくる。でも、そのことへのおそれさえ、ヘイゼルやオーガスタスはしっかりと見つめていた。そういうことを真摯に描いた物語だから、最後まで読むことをやめられなかったんだと思う。たとえ、物語の途中でその結末に予想がついたとしても、ヘイゼルやオーガスタス、その他の多くの登場人物たちが何を考えていたのか、何を話すのか、知りたくなってしまったのだ。だから、ずるい。あらすじと中身が一致しない。不思議な物語だ。

ヘイゼルとオーガスタスは運命のふたりだったのだろう。でも、ふたりはさよならを待つためのふたりではなかったのだとわたしは思う。ふたりは、それがたとえ短い時間であっても、一緒に生きるための、ふたりだった。
…うーん。言葉を尽くして、この物語を話そうとすればするほど、ヘイゼルやオーガスタスが嫌っていた類の賛美になりそうだ。だめだなあ。

しかし、あれですね!好きだって言った本を次回会うまでに読んでくれるなんて、なんかそれだけでたまらなくなるよね。わたしはそれだけで、きゃー!って思った。きゃー!

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)

さよならを待つふたりのために (STAMP BOOKS)